フラギイのメモ

Twitterで書き散らしたことを体系化しようとした。

仮面ライダー555感想:概要

全体の物語

 結論から言うと俺は非常に楽しめた。この作品の企画書には「人がただ生きている。ただそれだけ」という言葉がつづられていたことは有名である。実際、この作品において人の感情と言う物は非常に真摯に扱われている。それを通すための(様々な制約を受けての)展開のなかで次回への引きや地下に潜った流星塾といった強引な調整・取り成しも散見されるが、それらは笑える突っ込みどころにはなれど人間を描くことへのいびつさや不誠実さは感じなかった。それは私がフィクションを語るうえで、設定や辻褄よりもドラマ、人間の動きを重視しているからという理由が大きいが。

 

 前々作アギトとの設定などの類似が注目され、新種族との共存への過程における負の面を描いたのが555だと言われる。主題据えている部分としてはそうなのだろうがドラマの構造がかなり異なる。前述の「人が生きているだけ」という謳い文句の通り、555の方が人物に焦点を当てたものとなっている。

 アギトのあかつき号と555の流星塾、一見似たような引きの要素だが後者に関しては実は作品を一年間引っ張るようなものとして設定されてはいない。アギトの構造はあかつき号とアギトの出自を屋台骨とした強固な連続ドラマだ。あかつき号という柱から発せられる刺激・情報を受けて様々な人物が動き、各々の反応を見せ一年間収束していく。翔一たち3人のストーリーラインが全く別の出発点から始まり各々の場所で情報を得ていくことも相まって、比重としてはストーリーが主で人物が従である傾向にある。それに対して流星塾は実は主人公・乾巧にとってさほど重要ではない。当面の戦いに巻き込むための装置に過ぎないので中盤にはすべて明かされる。登場人物もアギトのように各々の舞台で話を進めていく群像劇ではなく、あくまで同じ舞台の上で争い、ときには協力するなどその掛け合いを見せていく。いわゆるキャラ物・キャラ推しの要素をかなり強めている。このため見ていくと実はアギトとは大きく異なる視聴感を得ることになる。「人が生きているだけ」というのはテーマや作風のみならずこういった構造を示していると言える。

 1年間の大きなストーリーのうねりに重きを置いているのがアギトで555はよりミクロな人間ドラマの情動に軸を置いていると言える。

 

 そういうわけで実は1年間を通した1本の縦糸ってのはあるようであんまりない作品なんだけど、登場人物が争ったり和解したりっていうのを追っていくだけで凄く楽しめるし彼らの生きざまが胸に刻まれる作品だと思うわけである。