フラギイのメモ

Twitterで書き散らしたことを体系化しようとした。

仮面ライダーアギト感想:概要

特徴は連続ドラマと群像劇

元々作風が私の肌に合っていたのでアギト・龍騎・555の3作はいずれも放送中に熱中し、今でも好きな作品上位3でいずれも甲乙つけがたい。ただ、完全に横並びであるというわけではなく、その日の気分だったり個々の要素ごとに多少の上下はある。しかも555終了後のしばらくは私の中における当作品はギルスという好きなライダーへの好意が占める面が大きく、他の面では他2作のガジェットなどに惹かれる部分が多かった。実は、アギトという作品へ一層惹かれるようになったのはある程度年月を経て見返してからが大きいのだ。一般的にリアリティを追求したクウガライダーバトルロイヤル龍騎に挟まれてスタンダードだと纏められがちだが、本作は(当時でも減っていた)1年間という尺のTVドラマの枠を最大に生かした、ダイナミズムに満ちた連続ドラマと群像劇なのである。例えば前作のクウガは構成自体は従来のきっかりした各話エピソードの体を取っているし、視点も五代を中心とした1本のストーリーラインに集約されている。ライダー同士の戦いという飛び道具の龍騎も、メインライダーの人間関係自体は早期に決まり互いに(変身前後の認識の一致も含む)顔見知りになったうえで、ゲストライダーが刺激を与えていくスタイルだ。

 ここにアギトという作品の個性がある。メインライダー3人のストーリーラインはそれぞれ別の地点から出発していき、半年以上かけて収束していく。3人の状態が一定の期間は長く続かず、常に距離や互いの認識が変化し続けていく。付け加えていうならば3人の絡みというより、あかつき号事件という共通事項から発せられる謎に対し三者三様の反応を描くことで各人を魅せている。群像劇要素というのは後続の平成ライダーにもある程度の要素として盛り込まれてはいるが、メイン人物が顔見知りになり合流するまでに段階を踏むことを徹底しているアギトはその要素を突き詰めていると言える。

 

 

情報の流動

 この作品は個別の怪人攻略にこそ力を入れてはいないが怪人の出所・目的、アギトの正体と言ったことには気を使っている。特にアギト周り。アギトを知ったとき、いきなり正体探しに入るのではなくまずそういう怪物だという認識から出発する。我々視聴者視点ではヒーロー番組を見ているという前提から気がはやってしまうが、劇中人物からすれば先にアンノウンを見ているのだから同様そういう生物だと思う方が自然だろう。例えば21話で勃発したアギト対ギルスも勘違いの一言で語られがちだが、あの時点では互いに正体どころか人間が変身しているという発想すらない。アンノウン同様の怪物が死体の近くにいる・襲ってきているという認識しかできないのも自然だ。そして一飛びにアギトの正体がばれるのではなく、アギトにも人間的な感情がある→もしや人間なのでは?といった推測を経て、満を持して翔一がアギトなのだと明らかになっていく。

 こういった情報が様々なタイミングで人物に与えられるのだが、それも一斉に周知されるのではなく特定の人物のみに与えられるケースも多い。そして他の人物は知らないという構図がドラマに大きなうねりを与えていくことになる。また、アギトにおける劇中人物にとっての謎というのは翔一、氷川、葦原の3つのラインのうちどれかでは早い段階で明らかになっている例も多い。あとはどの段階で他のラインにも周知されるか、そしてそれによりどんな反応が起こるかがダイナミックに展開されている。前作と比較すると各話ゲスト怪人攻略にかけるロジックにこそ注力しないのは確かだが、その代わり1年間を通した謎に関する情報の移動には力を入れられている。前作クウガが「何を知らされるか」に対しアギトは「いつ知らされるか」に重きを置いているともいえる。

 

 

特撮表現

 せっかくの特撮番組なのだからこれについても触れておきたい。クウガで一つの契機となったこの枠において、この作品でも様々な試行錯誤が見受けられる。ライダーのアクションにおける特徴として、「刃物は一撃必殺」があげられる。後続作品群では弾着による火花で統一されていくが、この世界でアギトの武器を使った必殺技やギルスヒールクロウは刃の部分が当たれば致死となる(例外的に生死を超越したオーバーロードだけはヒールクロウをくらった後も生きてたが)。そのため武器を使った攻防においても刃の部分をいかに防ぐかと言った殺陣が演出されている。特に次作の龍騎がゲーム的な表現を試行錯誤しており、刀剣類も打撃と同様「純粋にHPを削る通常攻撃」として扱われているのと好対照だ。

 また怪人の演出という面ではライティングが秀逸さとスーツを含めた様々な小道具を駆使した表現が特徴的である。前者に関しては、なんでもない市街地を一瞬でアンノウンのテリトリーに変えてしまう照明効果の巧さ。後者に関してはこの頃は怪人の芝居というものにおける様々な試行錯誤が見て取れる。グロンギ、アンノウンではマスクの口が動いたり、そもそも喋らないミラーモンスター、人が影に映るオルフェノクといった、人間と並んで芝居をする説得力のための工夫が見て取れる。毎回ではないもののアンノウンの瞼が開閉したりもする。こういった要素は番組人気に直結しにくいのか、後続作品ではオミットされていき一体成型のマスクで普通にしゃべる怪人も出てくる。それが要不要が洗練されるということだろう。しかし、黎明期の作品だからこそできる試行錯誤もまた魅力的なのだ