フラギイのメモ

Twitterで書き散らしたことを体系化しようとした。

仮面ライダー555感想:第3話

全体

 メイン人物が登場していく回。お互いの力関係しか頭にない巧と真理と違い、一見すると人助けに熱心な啓太郎。しかし、前述のとおり我が道を行く二人さえも困惑させる勢いで一人勝手に悲観的になったり小間使いになる彼。この段階では啓太郎に対してもどう見ても共感も感情移入もへったくれもない。仮面ライダーの陣営の誰にも感情移入できない。これ当時としてもかなり挑戦的な進行だったんじゃないだろうか。

 

  そんな啓太郎と別の繋がりを持つのが長田結花。今でこそいたって普通の繋がりだが、当時のメル友という新たな関係性を啓太郎と構築している。狂人(?)の啓太郎があけすけに(主観の入った)現状を語り、普通人の長田が虚飾の混じった物語を語る。今思えば、この555というドラマにおける変身前後の認識の錯綜したペルソナのドラマはこの時点で片鱗を見せている。真実を語っている啓太郎、かたや虚像を語る長田、そしてそれを互いに真実だと思っている認識のずれ。今後の555を象徴しているのは巧でも木場でもなくこの二人だったのだ。長田について、彼女の境遇から決して幸福な生活で無かったことはわかる。しかしそんな彼女だが自殺をしたわけではなく、まだ生きようとしていたのだ。そんな彼女が偶発的にオルフェノクに覚醒したのだとするならば、今後の行動は想像に難くない。

 

ここで、木場について。千恵が灰化した描写と他のオルフェノクも同様に人を灰化させた描写からオルフェノクという種族における共通の能力なのだろう。死者から蘇ったのがオルフェノクという存在ならば、あとは追加された余生を生きねばならないだけなのだろうか?それならば彼らが人を襲うのは一時の鬱憤晴らしにすぎないのだろうか?そういった疑問が牽引力として残されていく。しかし一方で、ここまで見るとオルフェノクが恨みの感情や衝動で無く故意に人を襲うのはベルトの奪還の場合だけなのだ。余生を過ごすだけならわざわざ危険をおかす必要はないのに?そういった疑問が浮かんでくる。オルフェノクに殺された人間とファイズに殺されたオルフェノク、どちらも死の間際に灰化することが、どんな存在がどんな命を奪っているのか畢竟同じことだとささやいているように見える。

 また、”社長”から王の眠りは深いというメッセージを受け取る。この段階で既にオルフェノクの王についての布石は置かれていたのだ。このメッセージが王の眠りを起こせなのかそのまま眠らせておけなのか?その点については真理が東京へ面会に向かっている途中だった(東京に居て人に会う余裕があったはず)にもかかわらず人前に出られない様子からあわただしい動きがあったのだろう。したがって、この時点では(少なくとも内心では)王の眠りを妨げる方針に転換しており、追手から逃走を始める直前~最中位だったのではと思われる(スマートレディもこの時点では本心を告げられておらず普通に業務として木場に伝えたのでは?)。

 

 

 

ファイズ&オルフェノク

 ファイズとの交戦描写が重ねられてきたが、いずれも前述のとおりベルトを奪うためである。木場パートで描かれた「生前の恨みによる報復や鬱憤」とは根本的に異なる。そのため、巧の言う「ベルトなど渡してしまえ」という提言に一定の説得力を感じるわけだが、同時に無関係な人を殺害する描写からそうもいかないことも実感する。

 

今回フォンブラスターを使用するファイズ。前作の龍騎の飛び道具(ストライクベント)と比較すると、威力にはおとるが小回りは聞きそうな演出から多人数ライダーではなく、ファイズが看板を背負う主役ライダーとしての独立性・万能性が高いことが伺える。それをてこずりながらも状況にあった武器選択を見せていく巧、どう見ても荒事になれている。

 

 

これ書いてて自分の中でもスタイルが確立できてないんだが、当時のリアルタイムの視点から書こうとするんだけどどうしても全話見たあとの視点や感想が入ってきてしまう。