フラギイのメモ

Twitterで書き散らしたことを体系化しようとした。

仮面ライダーアギト感想:第19,20話

翔一
榊に対して本気で好きなようには見えないが、それでも彼女の助けに応じ引っ越しを決める。また。パン屋営業時間中も葦原のためにパンを持ち帰る。こういったところから、正体不明の翔一であるが、彼の優しさは紛れもなく本物として描写され、バックボーンの見えない怪しい人物であると同時に人を助けるヒーローとしての安心感を両立させているのだ。 
 ここ数回の真魚を見ていると、翔一と真魚は異能仲間としての二人だけの距離感があると思う。榊に対しての真魚がいい顔をしないのは恋愛というより二人だけの同族をどこかへ持ち出される不安や焦りがあるからなのかもしれない。

氷川
 彼をこの世界で初めて無骨と称したのは司。司こそが、氷川と翔一の対決の原因だった…。そして司に無骨と言われても真摯に受け止める風な氷川だったが、翔一に言われるとムキになる。やはり翔一に対する色眼鏡は中々取れないようで、人間関係においてもやっぱり無骨なのであると印象付けられている。とはいえ、翔一の底知れなさを初対面で見抜いているのは小沢くらいなものだ。氷川が悪いのではなく、並外れた才覚の持ち主同士が彼らのレベルで通じ合って、悪い言い方をすれば周囲を置いてけぼりしてるとも見られるが…。
だが無骨な面だけでなく優しい面もしっかりと描かれているので好感が持てるのだ。今回、北條にサンドイッチをひったくるように掴まれたとき、特段怒る様子もなく「どうぞ」と言っている。普段からきつく当たられてるし、最近氷川も北條を嫌なやつだとようやく認識した。にも関わらず当たり前のように昼食をともにしようとするあたり根はお人好しなのである。
 北條も負けてない。今回は彼が司の犯行を挙げたおかげでG3ユニットの解散は免れたわけだが、それを公言することはしない。これはG3を排除したいのではなく“勝ちたい”という彼なりのプライドなのだろう。同時に自分が傷ついていないということの方を強調したいこともあったのかもしれないが。
 花村が本当に犯人かどうかは最後までぼかされている。実証されてない以上殺害風景はイメージ映像にすぎない。これは真実を突き止める前に動いた=自分の理念を裏切ったということを表現するためなのだろう。北條の幻想の中の司ではなく、現在の“自分の理念を自分で裏切っている司”を見て決断できることは、北條自身が幻想を打ち破り、現実の中で司の理想を継いでいこうとしているに他ならない。実証できない以上、花村が犯人か否かは重要なことではないはずなのだ。
 そんなこんなで事件の解決を受けて、小沢が言う「人はときに信じられないことをする」。この信じられないこととは、誰にとって信じがたいことなのか。もちろんその行為をしている人を知る者のことだろう。その人を知ってるつもりだったが、予想外の行いをしたことが信じられない。他者に対する幻想、ということだろうか。北條はそれを劇中でいち早く打ち破って脱皮したのだろう。

葦原 
 もともと彼を本筋に絡めるためにあかつき号が生み出されたのだが、そういうメタ的な事情と彼の「やることがないと生きられないからあかつき号を追いたい」という性格を関連付けるのが上手い。
 アギト捕獲作戦の隊員が全員生きていたことが明らかになった。前回、彼はガス弾でしこたま撃たれ殺されかけたのに、反撃しても気絶するだけで済ませてたあたり彼も根っこはお人好しなのがわかる。

青年
 沢木は史上初めてのアギトを殺したという。
だが、沢木は青年(アンノウンを使役する者)の敵になるという。かつて人間はアギトを殺した、殺せた。肉体的な強さの意味で可能かは怪しいが少なくとも精神的には対立しうるのである。アギト、人間、アンノウン。人間とアンノウンの間には距離があるように見えるが実はアギトと人間の間にも思ったよりも大きな隔たりがあるのかもしれない。


 やはりあかつき号の乗客であった彼女。ほかのメンバーもアギトのことも知っているらしいし結構密に結託しているように見える。篠原佐恵子が孤独に引きこもっていたのは違って見えるがこの行動の違いは何なのだろうか。同じ事件に見舞われて生まれるリアクションの差か。 
 前回の話になるが彼女もギルスのことは知らないからか葦原との会話に微妙なズレがある。葦原が変身のことを理解してる前提で話しているのか、「あなたみたいな人間が増えることをアンノウンは恐れている」と語った。これにはアギトも含まれるのだろう。しかし、葦原は自分みたいな人間=ギルスのことだと思っている(加えて劇中人物の目撃反応からアギトとギルスは明確に別物と認識されるようだ)。従って葦原はアギトについては依然、アンノウンと敵対している怪生物くらいにしか知らない。この認識のズレがどう作用するか…
 覚醒した力で、アギト捕獲作戦関係者に復讐するあたり葦原への思いは本物だったようだがそれにしても明らかに人格が変貌している。力そのものに溺れてしまっているようだ。

アギト&アンノウン
人が人を殺してはならない。何故行けないのだろうか、他種(アンノウン)なら良いのだろうか?ここで何故駄目なのか二通り考えれる。それは道徳的にしてはいけないから、もう一つは利害関係で不利益だからということだ。どちらにせよ小沢のように憤慨したくなるものだ。が、我々視聴者は作中外の存在として一歩引いて考えると、アンノウンたちに取ってみれば何も矛盾はしていないのかもしれない。善悪というのは基本的に同種の知的生物間、ないしは思考回路が近い生物間(人間的な思考や感情を持つ型のライダー怪人)でこそ成り立つ観念だ。 
 創作ではしばしば「遊びで他種を殺すのは人間だけ(でありそれは悪行である)」という文句があるが、これは誤りである。好奇心の裏返しか、他種を遊びや暇つぶしで殺す生物はいくつもの例がある。アフリカゾウはいらついただけで他種を攻撃し死に至らしめる。猫が小動物を弄ぶのは有名だし、人によって持ち込まれた猫がその地の生物を絶滅させこともある。だがゾウやネコを善悪の観点から問う者は少ないだろう。
 もう少し大きなスケールで見れば恐竜だって繁栄の道すがら多くの爬虫類や両生類を滅ぼしたし、酸素だってはじめは猛毒だったのが原始の植物プランクトンが生命活動の排気ガスとしてばら撒いた結果、追い込まれた生物たちが順応したにすぎない。
 そう考えれば人間同士の殺傷はよくないが(他ならぬ人間自身が定めた道徳でもある)、アンノウンが人間を殺すのは彼らにとって見れば必要だし悪ではないということなのだろう。もちろん、だからといって大人しく殺される道理もないので生物としては抵抗するのだが。


 それにしても殺人など現世で溢れてるので他には警告しないのかと思うが、今回初めて言葉を発して警告したのは殺人犯がアンノウンの前に来たのは初めて&アンノウンの犯行に見せかけたからだろう。しかも実質は青年の声なので「お天道様が見ている」ということ…?
 また、司には人が人を殺してはならないと警告を発しただけなのに対し、榊にはアンノウンが差し向けられている。超能力を得た榊は人ではないということか(少なくともアンノウン目線では)。やはりアンノウンたちは破壊衝動や征服欲で戦っているのではなく人間という種の範囲の規定を求めているのだ。

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