フラギイのメモ

Twitterで書き散らしたことを体系化しようとした。

仮面ライダーアギト感想:第39,40話

真島という、これからアギトになるであろう人がまた一つ新たな選択肢を見せる回


翔一
 木野という存在に対し最初は本気を出すことができなかった彼。アギトの会の構想を語っているときでも他のアギトが友人になることを無条件に信じていた節もある。それだけに木野の暴挙は信じがたいことなのだろう。
 ギルスとの戦いは、あくまで両者の情報不足から互いを怪物だと思っていたことに起因するわけで、互いに人間と知ればあっさりと収まった。しかし木野は違う。アギトが何なのか知った上で攻撃を仕掛けてくる。それは、人間社会で人が人を殺そうとすることと何ら変わらないのだ。
 しかし、それでも葦原が殺されかけ、真島が次のターゲットとなると応戦に切り替えられるのが彼の仙人としての超越さだ。

 そんな彼でもたじろいだのが、氷川のアギトへの幻想だ。彼の幻想を打ち砕いたと知ったときは翔一でさえもばつが悪そうに悩んでいた。翔一でさえ、気まずくなってしまう氷川の幻想、もしかしてアンノウンよりも強いのかもしれない…。


氷川
 アギトへの幻想を打ち砕かれる。司への幻想を打ち砕かれた北條と同じだ。
 しかし、根性でG3をものにしてきたのと違ってどう向き合えばいいのか四苦八苦している。技能的なものは挫けず挑み続けることはできるが、そういった対人関係についての繊細な問題にはどう挑めばいいのかわからない…いかにも彼らしいと言えるのではないだろうか。それでも人を守るという一点で翔一との共闘(トルネイダー砲台)に持ち込めるあたり、それを乗り越えたようだ。
 何故、彼がアギトを美化していたといえば、おそらくは彼の「人々を守りたい」という願いをその卒のない戦いぶりでかなり理想的に体現していたからであろう。しかし、そこへ北條から「氷川もアギトのようなものだし力を合わせるべきだ」と助言されたことで、自分の他者に願望を託すのではなく自身で叶えることを思い出し、初心に帰ったからではないだろうか。この辺りまで来ると、北條とは良き友人であるようにも見える。自身がなにかに囚われかけても、北條とそのような良い刺激を与え合えって解決できる関係へ昇華できたのも、彼の実直さが実を成した一つであるのだ。

 今回、小沢の案をあっさり採用する上層部。彼らも明確な情報さえ入ってくれば、柔軟な判断はできるのだ。だが、もうすこし邪推するとアギトは不思議な力を持つとはいえ、れっきとした市民である。無辜の市民に対して苦痛を与える対応をするなどして、しかもそれが後々世に出などすれば警察は糾弾されアギト問題に対応できなくなる可能性がある。それを恐れたのではないだろうか。アギトが人間であることや複数存在することを小沢たちに口外しないように口止めしたのもその一環かもしれない。のちの555で語られた「人間性を持つ相手と戦うとなれば、それを取り巻く世間の風潮が何よりも面倒」という話に繋がっている。
ただ小沢の案を採用するだけでなく、北條の顔も立てていたのは好感が持てる。 
 そんな北條だが小沢への対抗心は残しつつも、自分が邁進すべき問題に対し冷静に見据えることができる。彼もまた一歩一歩成長している。

 しかし今回、小沢も北條もアギトの正体を氷川に素直に答えなかった。もちろん上層部に無闇な口外を釘刺されていることもある。しかし「なんとなく言いにくい」というセリフの通り、例え口止めされていなくてもアギト正体問題に舞い上がる氷川には彼ら頭脳担当メンバーでさえたじろいでしまっていたということだ…恐るべし氷川の理想。

葦原
 翔一の項でも描いた通り、翔一や葦原が互いを怪物視して戦っていたのとは異なり、木野はギルスが人間であることを知った上で殺意を持っていた。木野があかつき号メンバーをけしかけて殺そうとしたことも数えれば、これで何度も殺されそうになっていることになる。それでも木野をノックアウトするだけにとどめ命を奪おうとはしない。言葉通り彼はこれまで何度も裏切られ続け、それを飲み込める強さを得たとも言えるが、同時にどこか老成してしまっているように見える。あかつき号のことも以前ほどは優先順位が高いようには見えないし、目的がなくても生きていけるようになって“しまっている”のかもしれない。もしかして木野は葦原の心の中のなにか一線の、最後のひと押しをしてしまったのかもしれない。
 そんな彼が発した「人の心なんてわからなくて当然」「木野は自分で自分を裏切った」。特に後者に関しては木野だけでなく、命を落としていった者も含めあかつき号乗客全員に言えることであろう。彼らはやむを得ない恐怖もあるとはいえ、地に足ついた生活やそこにいるべき自分に向き合わず、浮世離れした異能としての“崇高な戦い”に邁進することで泥臭い恐怖や惨めさには向き合わなかった。そうして色んなものを見失った。それこそが自分を裏切るということなのであろう。
 
 木野に裏切られたことと、一度は自分の心に火を灯したことを別物として心のなかに切り分けて受け止められている辺り、葦原はこの作品で語られた「幻想」や「思いもよらない人の一面」ということに(強制的に)慣らされているのであろう。木野に裏切られたことは彼を疲弊させつつも、木野から貰った言葉は心のなかに抱いていける切り分けができているのだ。




あかつき号
 フィッシュロードから葦原を庇う真島、アギトの力をあっさり他人へ渡す真島。元々の心根の良さと、葦原への恩義、そして変わって行ってしまったあかつき号メンバーを見ての結果、彼の中でも変化が起きていったのだろう。
 よく井上敏樹氏は強化ドラマを描かないと言われる。そうだろうか?自分はあくまで作風やオーダーに合わせているだけだと思う。現にアギトでは、バーニング覚醒では翔一自身の成長、G3-X登場ではチーム全体の人間模様、エクシードギルス覚醒では真島の成長が描かれた。しいて言うなら「アルファがベータをカッパらったら強化アイテムが出現した」という説明セリフを野暮としているのではないだろうかとは思うが…。あくまで私の邪推でしかないが

 今回エクシードギルスがアナザーアギトを打ち倒すのは、葦原のリベンジだけでなく真島が思いを託して木野をとめるという面も持ち合わせているのだ。

木野。かつて真島が敬愛していたという木野。力を得て真の自分を見つけたと嘯く木野。葦原の心に火を灯した木野。ただ強くなって雅人を救いたかっただけの木野。どれが本物の彼なのだろうか。きっとどれも彼の一部なのだろう。彼自身がわからなくなっていたとしても。誰しも人は「思いもよらない一面を持つ」のだから、それは時として自分自身に対してもそうなのだろう。
 だから、他者に与えたいくつも影響がときに相反しているように見えても(翔一や葦原を後押ししたり、逆に葦原を裏切ったり)、それでもいずれも木野が生きているということなのだろう


沢木
彼なりに奔走してきたがあまり実を結ぶことがなかったり、あかつき号乗客が他者を襲うなど逆効果だったりしてきた沢木だが、今回は明確にファインプレーと言えるのではないだろうか。一見傍観者な彼も少しずつ進歩している…?





アギト&アンノウン
 前回格闘戦で苦戦した経験からか、フィッシュロードに対しアンタレスと銃撃の併用攻撃で対処するG3。確実に使いこなしている。

 グランドフォーム対アナザーアギトではややアナザーアギトが優勢。キックの威力でもわずかにアナザーが競り勝ったことが、翔一アギトのほうが長く気絶していたことでわかる。
 2回戦目は、人質を取ったことでアギト&G3に対してもアナザーアギトが俄然優位に戦うが、よく見るとアギトも攻撃できないなりにストームハルバードを使ってアナザーの攻撃を捌いている。こういった細かい部分からでも、戦闘経験と手数では翔一も負けていないことがわかる。

 アナザーアギトを圧倒するエクシードギルス。それもただ打撃で圧倒するのではなく車を押し転がして目くらましにしたり、触手で拘束したりとクレバーさが目立つ。かつ、その触手はこれまで打撃面では他のライダーを圧倒しているアナザーアギトを完全に拘束しており、パワー面でも申し分ないことがわかる。     
 初期の頃からそうだが、葦原は自分の意図でアギトに襲いかかることはあっても、ギルスの力が暴走するといったことはない。唸るのはあくまでああいうノリであり、戦闘自体は理性と獣性を兼ね備えているのだ。
 エクシードギルスを体得するときの鏡が割れたり、葦原が泳ぐ演出は幻想的だ。ギルス関連は物体が変化したり出現したりといった方面でのCGはあまり使われず、こういった一捻り加えた使い方がされている。そういった面でもアギトと差別化されていると言えるだろう。
 胸にワイズマンモノリスが出現し、ギルスのままアギトになっていることがわかるデザインなのも良い。


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