フラギイのメモ

Twitterで書き散らしたことを体系化しようとした。

「ギルスレイダー」(装動ライズホッパー改造)

─────俺は自分を哀れみたくはない。

──────俺が俺である意味を見つけたい。いや見つけなければいけないんだ!

 

 

 

装動のライズホッパーをベースにギルスレイダーを製作しました。

フロントカウルやテールはパテを盛り、色はシタデルカラーで筆塗り。

プラにもパテにもムラなく乗るシタデルカラーに随分助けられました。

 

 

赤いヘッドランプをフロントカウルが覆い、仕切りで二つ目のように見せている構造の再現にこだわりました。赤いモノアイはメガミデバイス・マジカルガールのクリアパーツを使用しています。

 

あの夏の日

 



 

 

フラギイのメガミデバイス一覧

 

セラム

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雪花

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サラ

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ミリネイ

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テンナ

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キイル

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アルスリイ

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ラホーク

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クラント

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翅雲

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ルフシーナ

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蒼霧

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クオン

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モカ

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仮面ライダー555感想:49,最終回

 

 

・巧が見つけたのは「答え」ではなく「夢」  

 戦う理由や正しさを探し求める木場。

答えがなくともすべてを飲み込み戦う罪として背負う巧。17話の頃からずっと対になっている。

 見てみると巧はこの数話において、オルフェノクが辿る運命について意見を述べていない。やはり本音はそれについて納得できないものがあるのだろう。だがそれらを飲み込んで、オルフェノクが人間を滅ぼしてしまわないように戦うのだ。

 

 また、照夫のことを誰にも説明せずに倒そうとするのもその現れの一つだ。

 口下手で説明不足という印象のある巧ではあるが実は他人の名誉に関することはキチンと説明する傾向にある。澤田や真理関係に関しては顕著だし、啓太郎や長田へのフォロー、劇場版だが木場の弁明などがそうだ。今回、草加の死を真理に説明したのも隠したとしてもいずれバレるものであるので、他の誰かに言わせるくらいならば…というわけだ。

 では、巧が口を閉ざすのは説明すれば他者を危険に晒すこと(初期のクレインオルフェノクへの処遇など)や、説明してもどうにもならず他人に苦しみを背負わせるだけになることの場合だ。照夫の件がまさにそれだ。説明といえば聞こえはいいが、どうにもできない問題である以上それをしたところで痛みの分散にほかならない。啓太郎や海堂に説明したところで彼らを悲しませるだけだ。ならば彼らに知らせずに照夫を手にかければ、真実を誰にも知られず自分が手を汚すだけで済む…そう考える男なのだ。そういったやせ我慢の戦いを続けたきたのが乾巧なのだ。

 あの草加でさえ、やがてオルフェノクにも心がある事実から顔を背けきれず擦り切れていった。巧はオルフェノクに心があることを真正面から見据えながら彼らの命を奪い続けてきた。もちろんそれは人の命を守るためだ。だが、それは彼自身が言うように罪でもある。

 我々は人間なので人のために戦うことが英雄に見えるだろう。だがもう少し広く見てこの地球からすれば繁栄するのが人間だろうがオルフェノクだろうがどちらでもいいことなのだ。善悪といった道徳の話は同種の知的生命体の間でしか通用しない。もし村上や南雅彦の言うように人間とオルフェノクが道を違えた別種ならそこにどちらが生き残ったかの結果以外意味はないのかもしれない。 

 他方、オルフェノクと人が意思疎通できる以上そこに通じる友情や善悪はあるはずだと考えることもできる。だがその場合にこそ、心ある存在を手にかけてきたのは他ならぬ巧であるという事実がのしかかるわけだ。“戦う罪”とは単なる大義名分や免罪符ではないのは最後に巧の命が危ういと捉えられる描写からもそれがわかる。命を奪う罪の咎は巧にもきちんと覆いかぶさってるのだ。

 見ようによっては巧も木場も命を落とした。答えを探すことも探さないこともそれ自体に優劣はなく、ただ人が生きた結果なのだと言っているようだ。であるならば、木場が正しさを求めることだって誰か責められようか。多くのフィクションの場合、主人公が戦う理由や目的を探しそれを背負うことは是とされる。木場もそれに当てはまる。ただこの作品では必ずしも世界観に肯定される正しさには繋がらなかった、そもそもそういったものはなかったというだけのことなのだ。

 

 しかし巧は見つけた。答えではない、夢をだ。オルフェノクと人がどうなるのかが正しいのかという答えはまだわからないが、各々が自分の人生を全うしてほしい。そう、皆が生きる自由を自分は守りたい。そこからはそれぞれの人生を成していく。そういった意味で巧は答えではなく、己が成したい夢を見つけたのだ。

 

 かつて白倉氏は著書の中で英雄の構成要素が「特殊な出自の来訪者」が「何かを得る」と記した。そこへ行くと巧は無私の来訪者が夢を得るというまさに英雄物語と言えるだろう。 

 この作品において変身できるだけでは特別な出自とはならない。オルフェノクは数が少ないとはいえ、複数発生するワンオブゼムでしかない。流星塾同窓会のように(いかにも仮面ライダー足りうる)特別な過去をもつ者も複数いる。その中で、巧のバックボーンは語られないのは意図的なものだろう。皆が(他の作品なら主役になれる)特殊な過去を持つ中、逆に何も持たない出自不明の来訪者、それが乾巧なのだ。

 

 

 しかしそれでいて夢を持つことだけだ素晴らしいのだと語っているわけではないことも付記しておく。この作品では"夢は呪い"の下りが有名だ。しかし、同時に"夢を持つと熱くなる"だったり仁丹刑事の"卵を暖めるように抱き続ければ叶う"と、作中での正解みたいなものを出さずに色んなキャラが各々の価値観を持っておりそれぞれに優劣や重みをつけないのが素晴らしいと思う。

 かつて、アギトの葦原涼が再び水泳の夢に再起するのではなく、「夢がなくても普通に生きられれば良い」という成長とも老成とも取れる言葉を語ったことに通じるものがある。

 夢があるのは素晴らしいが、なくても当人が幸せならその人生もまた素晴らしいのだ。

 

 

 さて、最後の三原の言葉象徴的でわかりやすいものの、私はテーマを締めたわけではないと思う。「力に溺れず、異種族とも仲良くしましょう」という限りなく一般論に近い言葉を草加や村上が知らないことなどあるのだろうか?私はそうは思えない。特に草加は上述のように、敵対存在にも心があることから目をそらしきれず擦り切れていっているのが見受けられた。村上が巧たちに語った言葉も真実である可能性もある。もちろんラキクロのような輩もいるが…。

 それでももはや「力を以て敵を排除せねば、己の身を守れない。己の奪われた尊厳や人生を取り戻せない。」そういった考えに陥るまで追い込まれた人間たちのあがきであると思うのだ。

 

 

 クウガ、アギト、龍騎と毎年尖った作品作りに挑戦していた初期平成仮面ライダーにおいて、仮面ライダー555とは一年間何を描いてきたのだろうか?それは「殺していい存在とはどこからどこまでか?」をずっと投げかけて描いてきたのだと思う。

 流星塾同窓会はアギトのあかつき号と違って物語の屋台骨となるものではない。そこから様々な形の“人ではなくなった”者や居場所を失った者を生み出し、我々に様々な投げかけをするための者だ。

 異形となったことを受け入れられる者、受け入れられない者。本心では受け入れがたいが、現状肯定のために賛美する者。同情できる理由で力を振るう者。力は何かの手段でしかないと割り切る者。力に溺れる者。より強い力に従わされやむなく振るう者。様々な怪人が現れた。これほど多彩な怪人の行動を描けたのは、オルフェノクそのものは自然発生するためその力自体には(例えばショッカー製怪人のような)目的がないのも一因だろう。

 そしてそれらの命を奪っていい判断材料とは何なのか?劇中人物にそれが見えるのか?良い怪人なら見逃せば良いと安易に答えを出しがちだが、その線引とはどこからなのか?もしかしたらそんなものはないのかもしれない…。

 そういった意味で「怪人に人間性を認めると問題が複雑化する」という南雅彦の台詞は、この番組を端的に表しており、かつ地上波番組としてはとても攻めているといえるだろう。“俺達”と“あいつら”は違うと簡単に線を引ければ簡単に排除できる。だから線を引きたい。なんなら俺が新しい線を引く道具を作ってやる。とても合理的だ。だが、それは同時に境界線の中に己を閉じ込めてしまう行為なのではないだろうか?対照的に、巧たちは例え道のりが辛くても境界線を決めない選んだと言えるのではないだろうか…。

 

 英雄とされる存在が敵の命を奪う。たったそれだけのことをひたすらに掘り下げ、解像度を高めて描いた。そしてそれが鮮烈な武器になる。それが仮面ライダー555という番組の、初期平成ライダーが進化する過程で後続の糧となった特徴なのではないかと思う。

 

ファイズ&オルフェノク

登場人物たちが激しくぶつかっていった回でもある。

 

まずはファイズ&デルタ対ドラゴンオルフェノク。最強の存在ではなくなった北崎だが、それでもベルト二本がかりまででは倒せないという線引が厳然と引かれていた。だが今回はようやくその限界を超えた。草加の弔い合戦に燃える巧と三原が北崎を打倒したのだ。また、その中にラキクロ二人の離反もありわずかながらにライダー二人の加勢となったのも説得力のプラスになっている。

 そして突破口となったデルタの密着射撃。草加は自分達の仇を打てなかったが、草加の思いを汲んだ三原や草加を助けようとしていた巧により北崎を返り討ちにすることができた。それが熱く、そして同時に哀しくもあるのだ。

 

 そんな北崎にとどめを指したのがアークオルフェノクだ。この手の番組だとなんだかんだ名有りキャラは助かるのではないか、と楽観視していた私はアークの容赦のない捕食に恐れたものだ。

 アークは言葉を発せずただ他のオルフェノクを食らったり逆に力を与えたりする様子は、理解不能な恐怖を感じさせまさに脅威そのものだ。下手に喋らないのが威厳を保たせている。照夫がアークに変身するのではなく、彼を破壊して生まれるのも他のオルフェノクとの差異を表している。この手のジャンルだと子供(子役が演じる人物)は助かるのが不文律だと思うが、そういう点でもなかなか攻めた絵面ではないだろうか。

 カイザとデルタの拘束ビームを簡単に弾き返し、ベルトを破壊するあたり戦闘能力もかなり高い。ファイズブラスターフォームを正面から苦戦させたのも当然ながらポイントが高い。

 

 

 そんなアークオルフェノクとの勝利の立役者となった木場さん。彼の新たな姿、激情態。ブラスターフォームを使わせるあたり、彼の言葉通りドラゴン以上の力だろう。だがそれでもファイズに、巧に敵わなかったのは彼の中でとめてほしい思いがあったからではないだろうか。激情態とは彼にとっての迷いを表しているのだとも思う。 

 アークオルフェノクを羽交い締めにするときに激情態ではなくいつものホースオルフェノクの姿が映ったのは、彼の心情の変化を表していると思う。

 

 

 

仮面ライダー555感想:47,48話

 

 3ライダーのトリプルキックを食らったもののその場では絶命せず、王のために命を差し出す村上。部下に指示したように、己も王に自らの命を差出し笑う。かつて言った「死ぬときに泣くか笑うかは本人次第」の言葉通り笑ってオルフェノク繁栄に殉じた。ヒーローに命を奪われるくらいなら、自分の目的に費やしてやる。まさに勝ち逃げともよべる生き様だったが、「自分の種族の繁栄を確信して笑い、死ぬ」というとあの南雅彦も同じだ。妄執のなか死んでいったと捉えるとどこか哀しさも感じる。

 そんな両義的な見方ができる死に様だったとおもう。

 

 

 

 そんな村上と水面下の争いをしてきた花形がここに来て表舞台へ。木場やラキクロに王がオルフェノクを捕食することだけを伝え、あくまで「王は単純に強いだけの兵力にすぎない」と思わせるような誘導をする。その結果、ラキクロも木場も当面は王を倒す方へまとまった。やはり人を動かすことを慣れている様子。

 だが木場にならと王の本当の能力を伝えたら彼の絶望は花形の見込みより深く、結果的に彼もオルフェノクの王を守る方へ動く。まるで他人を駒のように扱ってきた花形がここに来て尽く駒の動きに翻弄されているようだ。これも行いが返ってくる一つの形だろうか。

 

 

 花形の意志はやはり村上と同じく王を探すことだった。そして両者どちらもそのために孤児を求めていた。真理たちに手を差し伸べたのは目的ではなく別の目的のための手段に過ぎなかったのだから、草加の怒りはもっとも。

 真相を話す中で花形が発した「オルフェノクは人間と共存できない」という言葉が耳に残る。「やっぱり俺たちの間には争いしかないわ。皆、俺たち側が潔く滅ぼうぜ」と言っているのだ。最終的に出力される行動が人間の利益だから英雄のようになってはいるが、彼も境界線で“俺たち”と“あいつら”をわけて考えることを止めてしまった者ではないだろうか。そう捉えると、どちらかの絶滅を願い未来のことをあれこれ頭の中でこねくり回していたという共通点のある花形・村上・南の三人が死んでいったのは何やら示唆的である。

 

 

 

 

 そんな花形に後押しされオルフェノクの代表の道を進む木場。人間に絶望したと公言するが、木場は巧への好意が消えたわけではないので彼とは敵対せず味方に引き入れようとする。見ようによっては己の絶望を巧に知ってほしい・分かち合いたいという思いが根底にあるように見える。

 その後に、巧に対して「話すことはなにもない」といいつつ電話に出ているのはやはり彼に自分と同様に翻意してほしいからではないだろうか。巧とは対等な戦友で居たいから弱っているところは見せたくないのだろう。

 

 そんな巧とは違って、海堂へ見せる笑顔はどこか気が緩んでいるように見える。マンションで楽しく気楽に同居していた時代を懐かしんでいるのだろうか。

 海堂の理想はどうしたという問いに「そんな俺の理想を笑っていたのはお前だろ」という返す。海堂にとっては図星だから言葉に詰まっていたが、微妙に論点をずらしている。やはり諦めたと口にするのは今でも嫌なのだ。だから巧にも「自分は目が覚めただけ」と強がるのだ。

 

 だがまあ「根はいい」以外の部分で相手へ人付き合いの労力を相手任せにしていた海堂にも責任はある。もしかしたら喧嘩はしょっちゅうだがその分本音を互いに知り合った洗濯屋組と、なんとなく反村上でより合って意見がぶつかるまではせずに済ませていたマンション組の対比なのかもしれない。

 思えば序盤はマンション組のほうがまともで空気が良いという感じだったのが、後半でこんな分解を迎えるとは…

 

 ただそれでもその“根”の部分は譲らないのは海堂の良いところだ。なあなあにせずベルトをきっちり返却した上で、己の力や三原に頭を下げて協力してもらい戦っていくところに彼の言葉にしない謝罪が見える。

 

 

 ライダーサイドで大きな変化があったのが今回散華した草加。巧のオルフェノクバレ以降、己の本性もばれどうにも空回りしていた感のある彼。だが、真理たちの態度を見る限り決定的に嫌われているとまでは言えないのに、自らを誰からも助けてもらえないと決めつけ孤立していっているように見える。

 

 そういえば今回草加がカイザギアを使える理由が明らかとなった。かつて流星塾同窓会被害者に施されたオルフェノク化手術の失敗の影響でカイザギアを使えたというもの。あの澤田が唯一の成功例と言われていた実験だが、草加もまた部分的に力へ適応していたのだ。それが頭を弄られる前に脱走し、今まさに孤独となってる。まさしく仮面ライダーだ。そうか?そうかも?記号だけ見れば仮面ライダーだ。

 

 前回までの感想で書いたとおり彼が頑なにオルフェノクとの徹底抗戦を主張するのは「自分が今まで命を奪ってきた相手にも心があるなんて今更受け入れられるか」というものなのだろう。彼は口でこそ「全てのオルフェノクを倒す。父であっても」と公言し己の正当性を一貫させようとしていたが、目の前で花形が灰化することで振り上げた拳の向ける先を失ってしまった。口でこそ生きて戦うと意思を固めているが彼の中でなにか張り詰めていた糸が切れたようにも見える。その後彼が散華したのはある意味で自然な帰結だったように見える。

 草加の死に様だが「自ら孤立していってしまった男が自分のもう一つの姿に殺される。そこには想い人はおろかライバルも仇敵も居ない。自分だけの世界」というものだ。因果応報云々というより、これが草加というキャラの最も輝く散り方なのだろう。滅びの美学があると思うのだ。

 

 

 そんな草加のことを誰よりも気にかけていたのが、彼から最も攻撃を受けていた巧だ。言葉通り、草加が木場の居場所など知るわけはない。だがそんなことは巧もわかった上で彼に話しかけているのだ。草加が孤立していくのをとめるために。

 もちろんだが、真理や啓太郎も草加の棘のある発言を咎めつつも彼を除け者にしたりはしていない。平常通りに接している。だからこそ草加が自ら孤立していってるのことに巧は心を痛めている。それを示すように草加の元へ駆けつける巧のモノローグは痛々しい。草加の慟哭から彼の心の傷を知り、また草加も巧が何か秘密を抱えているのを察していた。お互い仲良くはできないが抱えているものがあることを理解し合った仲なのだ。また、長田を救えなかったのだから、これ以上人を死なせたくないという思いも一層強いのだろう。

 

 

 そしてもうひとりのライダー三原は、草加の指示だけでなく自ら考え動くように。海堂という友達の友達くらいの距離感の者の頼みにも彼の真剣さを感じ取って応じ、花形との約束よりも優先するあたり彼の人の良さがにじみ出ている。またそれは人当たりの良さだけでく、今自分に必要なことを自分で考えているということなのだろう。

 

 

 

 

 オルフェノクの力は人間の肉体には負担が大きすぎるため、やがて死に至る病だという。王はただ単に強いだけでなくその難点を解決できる。それを知る者と知らぬ者でまた行動が違っていくことに…

 

 

ファイズ&オルフェノク

 冒頭は3ライダーと村上の決着。砲撃戦ではスライガーが、格闘戦ではバッシャーが優位なように見えた。そして戦いを決めたのは至近戦闘になったときに打撃を出せるサイドバッシャーの腕だ。やはりロボには咄嗟の格闘戦をこなすための腕が必要なのだ。 

 その後のライダーとローズオルフェノクの格闘戦も見ごたえのある殺陣。3人の打撃を確実に捌いていくが、それでもライダーの巧みな連携に少しずつ防ぎきれないものが出てきてそれが増えていき、最終的には組み付かれてしまう。そんな流れが自然に表現できていると思う。

 

 今回登場したライオトルーパー。まさに量産型ファイズの様相。ファイズギアそのものを量産できないのかとも思うが1話での鉱物状の結晶物や溶液の中でのセッティングからして、ファイズギアは製造環境の調整が面倒なのだろうか? 一つしか作れない理由はないが、かといって戦いに間に合うような短期間で作れるものでもないのだろう。また、他人を駒として見がちな花形だ。もしかしたら王と戦って全員生きて帰れるわけがない。ならば犠牲を折り込んで前衛担当を作ったほうがいい…などとかんがえてそこから物量戦に舵を取ったのかもしれない。

 

 そして今回目を引いたのがスネークオルフェノクとデルタが肩を並べて戦う光景だ。ごく自然体で人とオルフェノクが共存している。木場が追いかけつづけた理想を彼が敵対した結果、叶ってしまった哀しさもあるが。

 スネークオルフェノクは元々さほどつよくなかったことに加えてこれと言って戦闘経験も積んでいないため、ライオトルーパーのベルトを撃破とまでは行かない。だが彼の気合でカバーし、連打からの蹴り飛ばや、多人数で囲まれたときも巧達のアシストに的確に入ったりと見事に奮闘している。

 そしてデルタやスネークの奮闘に手に汗握ったところにファイズが駆けつけてくる頼もしさの演出も良い。それより前に多勢に無勢に苦戦していたため、今度はアクセルを使うタイミングを見計らって一掃するというのも巧の機転が利くところが現れている。

 

仮面ライダー555感想:45,46話

 

巧と木場が道を分かつエピソード。

 

 

 度重なる人間への失望によりとうとう敵対の道を選んでしまう木場。長田へトドメを刺した影山だが、そこ至るまでの過程の大半は人間の手によるものなので長田は人間の手によって死んだというのは間違いない。また、澤村刑事など自分達の味方と思った人間まで南の行動を止めなかったように見えたのもあるだろう。そういうものが積もり積もっての敵対だ。もはや最後のひと押しの犯人が誰であったとしても木場の敵対は避けられなかったであろう。唯一、現場を見たわけでもないのに「人間が手を下した」という想像を選んだのは木場の意思だが。しかし前述の通り、これまでの体験を受けて、ピンポイントで「あの部分だけは人間の犯行ではないかも」と考えよというのも難しい話だ。

 

 そんな木場をスマートブレイン社長へと後押しする花形。彼の真意はむしろオルフェノクが攻勢に出ることを止めることだった。となると彼は木場の内心の変節を認識してない。木場の南殺害をオルフェノク全体のための純粋な義侠心からやったと思ってすらいるのだ。彼はそれほどまでに木場に期待をしているのだろうか。確かに木場の行動を外から見れば村上一派に命を狙われ続けて今日まで生き延びているわけで、流星塾生以外で戦力を見込むとしたら彼らだろう。しかし、花形が行動を起こす僅か数刻前に木場は人間を見限ってしまっていたのだから、哀しいすれ違いだ。

 

 

 

 もしかしたら海堂の照夫への甲斐甲斐しさは元からの面倒見の良さもあるが、そんな木場がいなくなった寂しさや、長田を突き放した後ろめたさが混在しているのではないか。

 

 

 

 

 一方でライダーサイドにも彼らに厳しい展開が待っている。長田の死を察しつつもそれを口にせず彼女の幸せをねがう啓太郎と、啓太郎本人がその死を口にしない以上は自分も長田の死を(表面上は)認めるわけには行かず、心のなかで謝ることしかできない巧。どちらも他者を思いやっている。  

 巧が明確に慰めの言葉を口にしないのは、前述の通りそれを言葉にしない啓太郎の意志を汲んで「長田は今もどこかで生きている」という体裁を取っているためだ。そこでもし巧が守れなかったごめんなどと謝罪を言葉に出そうものなら、それは啓太郎の意思を踏みにじり自分が楽になりたいだけの行為になる。それをわかっているから巧も黙するのだ。お互いを認めあっているからこそ痛ましい様相だ。

 

 父について話す草加と真理。父がオルフェノクであったことは真理には知らせずただ彼女と思い出の中の父について話す。自分が見てきたものの中でどれが現実なのか思い詰めているのだろう。しかし、きっとそのどれもが等しく現実なのだ。人には様々な側面があるだけで。きっと良き父としての顔もベルトを強奪した顔も、地下でベルトの人体実験していた顔も、北崎から自分を助けてくれた戦士としての顔もすべて。

 据えるべき軸が見えず苛立つ草加は「オルフェノクならすべて敵。父親でも倒す」とまで言い放つ。周りがオルフェノクと和解する中で更に頑なになっていることからしても、「自分が殺めてきた相手に心と命があるなんて今更受け入れられるか。」という心情なのだろう。今更一つでも例外を作ってしまったら自分の正当性が揺らぐ、だから俺はオルフェノクならば親でも倒さなければならないと言っているのだ。

 

 そんな花形と村上。彼らは最初からこの回に至るまでどちらも一貫して「孤児」を鍵と見定めて動いてきた。同じ事実にたどり着きながらも戦いを放棄したという前者と戦いを選んだ後者。同族にとってヒーローなのは後者だが…

 

 そして今回明かされた照夫の正体。それはオルフェノクの王。上述した通り王は孤児に宿る。というか、本来なら死ぬような状況でその子だけ生き残れるから結果的に孤児に宿ってるように見えるだけかもしれない。

 いずれにせよそれを村上も花形も探していた。流星塾も王を探すための候補の飼育ケージに過ぎなかったのだろうか?

 王はオルフェノクを食ってエネルギーとする。王の眠りは深いとはこういうこと。だからオルフェノクからも従わない者が出てくる。ファイズギアはオルフェノク側が作りながらもオルフェノクと戦うための道具なのはこういう理由だったのだ。そう考えると、初期の数話で村上が真理と巧からベルトを没収するために言った「オルフェノクと戦うため」という建前も絶妙に嘘は言ってないことになる。

 まあだからといって、部下に生贄になるべきだと言った村上もどうせ自分が食われるときは拒むに違いない…!

 

 王の目覚めが近いのを知り、俄然やる気を見せる村上だがそんな折に社長を退陣させられてしまう。その理由は大義名分としてはどれも尤もなもので、スマートブレインも知的生命体の集まりなのでそこで物を言うのは権力とルールの使い方。いくらローズオルフェノクとして腕っぷしが強くてもそういう場では意味がないことが描かれているのが面白い。

 ラキクロとの力関係もそうだが、オルフェノク全体のためを謳っておきながら力で物を言わせては大義名分と求心力を失うことを描かれている。

 

 そこへ行くとオルフェノクとはいえ仕事の伝達や調整といった部分は文官的労働を求められるので、そういった場でふざけると北崎といえども注意されるのがなんだか可笑しい。

 

 

 

ファイズ&オルフェノク

 ブラスターフォーム対バットオルフェノク。身軽な戦いが特徴のこれまでのファイズと対照的にどっしりと構えた打撃戦で確実に敵の体力を削る。

 それに対し人質をとることで逃げおおせるバット。機転が利くだけでなく弱っているとはいえホースを抑え込むパワーも見て取れる。

 さらにはスネークオルフェノク、デルタとレギュラーキャラを次々ノックアウトしつつ、最終的にはアクセルフォームの多重キックを引き出したその強さ、そしてプロレスの上手さはまさに名ゲスト怪人と言えるだろう。普段は人の良さそうな男なのがギャップを生む。

 

 また、レギュラーオルフェノクの戦いも見事だ。最近はブラスターフォームや3本の総力戦に押し負ける場面のあったドラゴンだが、やはりライダー二人では押し込めない強さも見せる。この「対処法は確立して雲の上の存在ではなくなったが、それでも気合と力押しだけでなんとかなるほど甘くはない」感が厳然と有る。

 さらにはそんなドラゴンのパワーとスピードを、見切りと体術でいなすゴート。これまでも琢磨ファイズに対し強さを見せていたがドラゴンさえ上回るのは驚きだ。それも特殊な能力で初見殺しをするというより、前述の通り卓越した格闘技でドラゴンを悠然と迎え撃つ強さがすごい。

 

 前社長が強ければ現社長も強い。今回は照夫を奪いに来たため、特殊能力で翻弄するような戦いはせず真っ直ぐに進軍してきたローズオルフェノク。デルタのパワーに組み付かれても引き剥がし確実に打撃を打ち込む。ファイズとデルタが二人がかりで来ても二人の打撃を確実に捌き、カウンターパンチを打ち込む。ジェットスライガーを呼ばれればすかさずベルトを奪い、敵の頭数を減らす&戦力を奪うという一石二鳥な手を打つ。ドラゴンオルフェノクのように一撃でライダーを吹き飛ばすほどの腕力はないが、力と技がバランスよく纏まって隙がない。

 

 それらの戦いの前座となったコーラルオルフェノク。なかなかのパワーファイターでファイズとデルタ相手に腕力で手こずらせている。デルタのキックで弾き飛ばしたところにファイズのパンチでトドメ。この描写からするに腕力と耐久力は上位のオルフェノクであり、そんな相手を一回の戦闘で仕留められるような連携ができるほどに打ち解けた巧と三原という描写にもなっている。

 そんな強敵と、それを破る二人の連携でも敵わないのがその次に出てくるローズという見せ方が簡潔。

 

 

 またもう一つアクションで気になるのが、ファイズフォンを掲げずに変身するようになった巧だ。おそらくファイズへの変身にあのポーズは必要不可欠なわけではない。しかし、古来より戦いや狩りに際して、恐怖に打ち勝ち己を鼓舞するために踊りや特定の型の動きをする習慣が世界各地にある。変身ポーズに己を鼓舞する意味があるとしたら、今は己を鼓舞しなくとも戦えるくらい、意思と逼迫感が強くなってるのだろうか。もしそれがあるとしたら直前の長田を死なせてしまった無力感・罪悪感が作用していると思われるが…

 

仮面ライダー555感想:43,44話

 

 前回はファイズに殴りかかるカイザの絵で引いたが案の定ライダーバトルには発展しない。最早お互いの行動の意図(少なくとも何か事情があること)を把握しているからだ。白倉Pの作品といえばライダーバトルという印象がある。しかし、インタビュー等では初期の平成ライダーの頃は一度和解すると再度争わせるのが難しいと言ってるのだ。その通り、実は彼の作品では「お互いの人となりを知ってて理解し合ってるはずなのに一時のカルシウム不足でライダーバトル」というのは実はほとんどない。アギトやギルスは互いを最初からそういう怪物だとくらいしか情報がなかったことによる面が大きく、相手が人間とわかればすぐに相手にも意図があったのだろうと矛を収めた。龍騎は設定からして互いに敵だと位置づけられた。555はと言うと巧と草加が最後まで和解しない。だから争っててもおかしくなはない。そしてその上で両者は歪な信頼関係を構築しライダーバトルに至らない距離感を持つ形となった。だから今の目で見ればファイズとカイザは変身前の仲の悪さに反して、ライダーバトルをしない。

 そして己も変身を解きベルトを持つ意味を説教する草加。なるほど言葉には一理ある。また、結局は彼も巧を(歪な形で)信頼している。

だが、長田を匿うかいなかのシーンで一人だけ反対しばつが悪そうに去っていくのは彼の孤立を示している。マクロはどうあれミクロな規模では人間たちのオルフェノクへの見方は変わっているのだが彼だけは変わらない。貫き通すといえば聞こえはいいが。「自分が命を奪ってきた相手も心ある存在だったなどと今更受け入れるわけには行かない」という意識があるのかもしれない。

 また三原も巧の処遇を巡って、敵とは思えないと自分なりの判断を下す(=草加の命令のもとから外れる)。三原が己の意思で戦い、頼れる人物になったことがそのまま草加の孤立を指しているのだから哀しい。

 

 そんな草加を気に掛ける数少ない人物が、真理でも啓太郎でもない、巧だ。かつて草加の慟哭から彼の中にある葛藤を知った巧は最後まで草加を見捨てない。他のメンバーが草加の二面性を知り、何が彼の本音なのかついていけないと軽んじていく中、巧だけが草加に向き合う。公園での会話だって、あんな話題で草加が本気で折れたり意見を変えるとは巧もおそらく考えてはない。だがそれでも草加に向き合おうとしたのが彼の優しさだ。

 

 その巧が口に出して凄いと称賛したのが啓太郎だ。実は彼はメインキャラではあるがオルフェノクの発生プロセスを長らく知らず、巧のオルフェノクバレに至ってこの時期に知ったらしい。だから戦いに消極的な巧に知らずにきつい言葉をかけたりしてきたわけだが、オルフェノク発生経路を知るのもこの時期だからこそ表現できるものがある。それは彼がこともなげに「じゃあ俺たちもいつかオルフェノクになるかも」と悪気なしに言ったところだ。その言葉に真理も草加も顔が険しくなる。真理は巧への信頼でウルフオルフェノクは平気になったが自分がオルフェノクになることやオルフェノク全体の超常性には忌避感を抱いているのだろう。それでも巧とは普通に接しているのだからそれはそれですごいことだ。

 そして啓太郎はオルフェノクの持つ腕力には恐怖するものの存在自体への忌避感はさほどないのだろう。だから自分がオルフェノクになる可能性をただの可能性の話、世間話として処理できる。たやすく境界線を超える。

 そんな啓太郎だからこそ長田をオルフェノクと知った直後に抱きしめられるのだ。

 43話の後半に、啓太郎と木場で「目の前で異種族が苦しむ」場面に遭遇する対比がたる。そこで啓太郎は安々と境界線を超える者だと視覚化されている。

 

 啓太郎と結ばれる長田さんの感情ってわりと状況に絆されてる部分も大きいのだが、それができるのもこういうときに啓太郎が人のためにすぐに動けるからであり帰結には納得ができる。海堂は根は良いやつとはいえ態度がちゃらんぽらんすぎた…

 

 

 今回は草加、啓太郎、木場といろんな人物のフォローに回る巧だが、木場とは足並みの揃わなさを露呈する。

 木場が吐露する迷いを、どうにも本気に受け取らない巧。実はこの時期まで巧は彼の頼もしい面しか見ていないので、彼を実態以上に神聖視しているのではないかと考えられる。

 木場の「自分と巧は自分がオルフェノクであることへの向き合い方も違うし実はズレがあったのなもしれない」という吐露にも、「どういうこったよ」と戸惑うばかりだ。

ただそれでも木場を激励するのが巧の優しさだが、実態を捉えていなければ言葉に説得力がない。

 今回のそんな巧と木場が車内という密室でのシーン。お互いの本音を吐露できる空間として機能している。巧と啓太郎といい、数少ないプライベート空間という感じで一貫した演出だ。

 

 木場に対する神聖視といえば海堂もだ。今回は露骨に木場の言葉に戸惑っている。直前に長田の啓太郎との恋を察してたり、音楽の道を行っていたのだか感受性はあるわけだ。

 

 

 

 

 

 オルフェノクたちの生き方といえばスマブレサイドもだ。今週は村上の思わせぶりな話が出てきた。これに関しては真偽を明かさないのが良い。明かしてしまったら理由によって手段の成否を判断してしまうことになる。アギト19話で司刑事は「主観を排し事実を直視する」という己の心情を裏切り、思い込みで花村を手に掛ける犯行に至ってしまう。ここでも花村が犯人か否かは司の是非には関係ない。自分の信条を裏切ったことこそが重いからだ。

 

 影山も巧や澤田、長田と悩めるオルフェノクたちにどれも一度は手を差し伸べている。「タカ派オルフェノク側から」彼らを救おうとしているのは間違いない。だがそれは彼らや人間たちの未来とは相容れないやり方なのだ。

 

 

 

そして第3の勢力、南雅彦

 

沢村刑事「もしオルフェノクが人間ならばここで行われていることは人体実験ということに」

南「余計なことは考えるな」

ここでの会話は、オルフェノクが公の存在になれば人間側の対応もこうやって割れるだろうという縮図だ。

 

 それにしてもオルフェノクをうまくコントロールできなければ今度はそれを「オルフェノクだから急に手を噛むこともある。これで危険性がわかっただろう」と澤村への意思誘導へ使う南雅彦の合理性。バットオルフェノクが澤村を始末すればよし、失敗しても人間たちにオルフェノクの危険性を流布できるからそれもよしのどう転んでも得しかしない策だ。

 村上と南の取引シーンも、セリフではなく視線と引きのカットでお互い腹に一物あることを察し合う良い演出だ。

 

 

 それにしても、南にとってオルフェノクから超常の力を取り除くのはついで以下の優先順位だろうに、そっちは成功していてそれが長田の命を奪う結果となったのが悲劇だ…

 

 

 

 

555&オルフェノク

 身につけた格闘技能と命を奪うことへの躊躇いのなさではロブスターだが、素質ではクレインというのがうかがえる。あまり戦闘の機会は多くないものの、オウルの策略を見抜いたときなどを始めクレインの素質の高さ(そして格闘技能はさほどでもないこと)が端々から見える。

 

 今回のゲストであるバットオルフェノク。ファイズとホース二人を相手に引かない強豪だ。戦い方も銃撃と格闘の両方をこなし、カブトクワガタコンビといい、やはり直属の部下にラキクロ並に強い手駒を揃えている村上。ラキクロはやはりタカ派オルフェノクたちを扇動するための優雅なモデルケースとしての意味合いが強いのだろうか。

 バットはコウモリの翼を服や帽子のディテールに落とし込み、あえて翼などにしないことで身軽なアクションと締まったスタイルを表現している。

 

 

 そして、今回改めて提示されるドラゴンの強さとベルト3本ならば勝てるという厳然たる線引も目を引く。ここ数週でブラスターおよび3ライダーの連携で返り討ちにし、一見すると驚異度が下がったドラゴンオルフェノク。だが、それでも二人がかりまででは、仇だと気合を入れ直しても勝つことはできない。特に草化にとってはなおのこと憎いわけだが、それでもだ。

 

 

 さて今回使用2回目となったブラスターフォーム。ファイズとホースオルフェノク二人がかりでも押し込めない強敵バットに使うには十分だ。

 ブラスターはここぞというときにしか使われない。その理由を自分なりに考えてみたのだが、555という作品はベルトの奪い合いが話の起点であり、アイテムが手元で実体化とか腰辺りからなんとなく取り出すという演出をやらない。エフェクトを伴った出現シークエンスにしろ、腰のあたりからにゅっと取り出す演出にしろ、大きくて面倒な武器を扱うために他の作品はどちらかを取っている。だが555はそのどちらでもない。だからファイズブラスターがあんまりでなかったのも手元に召喚できない作風であんなかさばるものはよほど強敵じゃない限り不便で使いたくないということではないだろうか。

 演出面でも戦闘中にとことこ取りに離れるのはダサいし、主役のファイズが離れるのは殺陣としても大変。かといって投げ渡すのは話も佳境だから啓太郎がそばにいないときも多い…と中々絵面に苦戦しそうだ。

 

 演出といえば、今思うと555って所謂ヒーローの強化変身を本当に減らしてたんじゃないかとも思う。勿論2003年の時点でその類の形態を一切出さないというのは不可能に近い。だから当時の中でのできる限りではあるが。

 それは、強化フォームのデザインを見るに「ヒーローの鎧がぐにゃぐにゃモーフィングするパワーアップは今年はやりません」という形で試していたのではないかなと。アクセルはほぼ純粋に機械的な変形しかしない。ブラスターも色は変わるが形状はさほど変化しないし、初変身時も全く新しい鎧を電送される形だ。

 オルフェノクがぐにゃぐにゃ変異する存在の典型だし、それとの対比もあって(当時のできる範囲で)不思議な変異を減らして変形などサイバー感のある演出を試行していたのかもしれない。

仮面ライダー555感想:41,42話

 

巧が帰還しライダーサイドはつかの間の安泰。そしてオルフェノクに関する新たな視点を持つ人物の登場

 

 

 ついに帰還した巧。照れくさくて帰ることが出来たと直接的な言葉にはできないが、「今度タダでクリーニングしてやる(=菊池家に帰った)」と伝えるたっくんとそれをすぐに察し安堵する木場さん。いつもだったら照れ隠しに反発するだろう遊園地も、皆と一緒に楽しんでいる恩義と嬉しさを噛み締めているのだろう。

 自らがオルフェノクであることを受け入れた巧は木場と一緒に沢村刑事に接触。木場も今回は警察がなんらかの意図を持って長田を攻撃していることを察知したり比較的冷静な場面が多い。やはり巧という同志を得た心強さがあるのだろう。

 

 そして巧の帰還を願った菊池家家主の啓太郎。おそらく啓太郎はここ数日にオルフェノクの発生プロセスを帰ってきた巧から教えられたのだろう。メイン人物がこの時期になるまで怪人の発生を知らないという情報の移動の差が面白い。悪気なく「俺たちもそのうちオルフェノクになるかも」という疑問は今だからこそ口にする意味がある。それを聞いた真理はその可能性に恐怖しているからだ。やはり彼女は巧への恐怖はなくなってもオルフェノクという存在やそれになってしまうことへのそれはあるのだ。

 対照的に、ここで目を引かれたのが自分たちがオルフェノク化する可能性をあっさり口にし、なんでもないかのように振る舞う啓太郎。巧がオルフェノクであることを通して肌感覚としての恐怖が薄まってきてるのだろう。

 こういったところで巧という見知った存在に抱く恐怖とオルフェノク全体への恐怖は彼らの中で別物になっており、なおかつその2つの折り合いの付け方が個々人で異なるのが見て取れる。

 

 

 一人、巧の帰還に反発するのが草加だが彼の心情もよく見ると少しばかり複雑だ。まず、巧と三原に対し嫌味を言う前の「君たちが決意をしたのはめでたいが」という前置きに嬉しい本音が漏れてるように見える。特に巧がオルフェノクであることについてはもはや三原がまた弱気になる懸念と(内心では)同程度の重みしかないことを吐露しているようなものだ。「いつ人間の心を失うかわからない(=今はまだあると思っている)」というセリフからもそれが伺える。

 ただ表面上は嫌っているので巧たちが楽しそうにしているのは気に食わない。だからわざわざ遊園地についてきては嫌味を言う。しかし、序盤の彼なら楽しそうに取り繕うくらいはするだろうに堂々と椅子に横になってふて寝とは、段々孤立してきて彼もそれを受け入れてしまっているのが見える。

 

 

 新たな局面のきっかけとなった長田。意外と自己主張したり、冗談を言ったり明るくなったように見えるがやはりかつてのトラウマがあるのだろう。大勢の人間に囲まれ視線を浴びることは彼女のかつての辛い記憶を呼び起こす。だからオルフェノクの身体能力で警官隊から逃げることよりも攻撃することを咄嗟に選択してしまったのだ。

 それでも仲間を守るために自首するのだが、その気持ちは南に裏切られ木場の激昂を呼び込んでしまうのだから皮肉としか言いようがない。

 

 

 今回トラブルの一端となった海堂。「根はいいやつ」というキャラに対し「じゃあ根以外はだめなんですね」を表出させていく。元々ちゃらんぽらんな態度でも啓太郎などのお人好しならまだ気長に付き合ってもらえたのだが、今回のような緊急事態では木場や長田の呆れを生むだけに終わる。

 

 村上の言葉によりベルトはオルフェノクを倒し、王を守るためのものだという説明がなされる。王を守ることとオルフェノク(同族)を倒すこと一体なんの関係があるのだろうか。そもそもベルトは村上が作ったものではなく花形が作ったものだ。孤児たちとベルトにもやはり何かの関係があり、それがオルフェノクと戦うことに繋がっていると言えるだろう。

 

 今回登場した南雅彦オルフェノク論。「オルフェノクも人間だという風潮が広まると人権などの観点から彼らへの対処が面倒になるから、人間っぽい部分を消して怪獣扱いできる風潮を広めれば単なる害獣駆除として問題を単純化できる」っていう切り口から彼らと戦おうとしているのが合理的ではあるがこれ以上なく冷酷だ。

 これは怪人の個別の能力攻略とは別の部分で凄い描写だ。「大手を振ってオルフェノクを殺傷できる風潮があれば、ちまちま能力攻略なんかしなくたって物量ですりつぶせるんだから、まずはその基盤づくりをしようぜ」というわけだ。

 勿論普通はオルフェノクから超常の力を取り除くのがまともな発想だし、南のやってることは一見回りくどく見える。しかしオルフェノクを人間に戻せたとするとそれはオルフェノク時代にも人間性があり、そんな存在を武力で制圧・鎮圧していいのかという世論が起ることを南雅彦は危惧しているのだろう。今はオルフェノクを一人ひとり捕獲して機械に繋がなければどうこうできないが、いずれは街で暴れるオルフェノクに、例えば特殊な弾頭を撃ち込んで人間の部分を消失させて市民に彼らの人格を認識させないうちに害獣として駆除する…と言ったビジョンを抱いているのかもしれない。

 この時期の平成ライダーは一作ごとに見せ方ややることを大きく変えており、そのための引き算も大きくそれまでにやったことはやらないというものもある。555では巧が咄嗟の起点や格闘戦の技巧・駆け引きで勝つが「あのオルフェノクの能力は…」といった攻略エピソードは少ない。これはクウガ龍騎との差別化ではあるが、それに加えて南雅彦という人物を出して「そもそも天下の往来で物量戦やれる基盤を作れば、少人数こそこそ能力攻略なんかしなくてもいいわ」という身も蓋もないことを作品内で切り込んでくることになったのがまた興味深い。

 

 

ファイズ&オルフェノク

 冒頭のライダー3人対ラキクロ3人。戦闘経験は浅いが基本性能の高いデルタにドラゴンを足止めさせておいて、ファイズカイザはエビムカデを早めに撃退。そこから即三人がかりで対処する。相変わらずのプライベートの仲の悪さに反しての連携の良さだ。使われたのが出の早いグランインパクトというのも技の性質を生かしている。拘束ビームを撃たないグランインパクトは単体で使っても見栄えとして他の技の下位互換にしかならない。スタッフもそれは認識しているのか、グランインパクトが成果を上げるのは(初登場を除いて)こうした連携の中に組み込まれたときだ。もちろん三原デルタの射撃によるアシストも見事だ。今の自分の力量からできることを瞬時に判断し貢献している。

 これまでもブラスターでドラゴンを撃退することはできた。だがここではブラスターではなく3人の連携で撃退する重みがある。

 

 やはり花形はベルト制作時、通常オルフェノクの強さの上限を北崎や自分を据えたのだろう。その上で彼らと戦うために必要なのは3本だ算出した。だから3本揃えればどんな通常オルフェノクにも勝てるわけだ。

 そして村上が言うラキクロは四人揃ってこそというのは「ベルトが3本束になればどんなオルフェノクにも勝てる。であるならばこちらはせめて頭数だけでも上回ってライダーを分断して戦わねばならない」ということなのだろう。問題は現ラキクロ当人たちは、上等な自分たちの仲間に入れて遊んでやるからには楽しませてくれる奴でなくてはならないという気構えであり、連携の重みを考えていないところだ。

 

 

 今回のゲスト、フリルドリザードオルフェノクエリマキトカゲを模した盾が特徴的だ。剣と盾の2つの武器を生成できるあたり、タカ派オルフェノクの中では中堅程度の強さはあるのではないだろうか。だが今の時期のファイズカイザ二人を相手にするのは荷が重い。実際最初はそれなり持ちこたえていたのが、この二人の見事な連携で順次武器を弾き飛ばされていってしまった。

 

 もう一人のゲスト、クラブオルフェノク。人体実験で改造されてしまったようだが、人工部にも色がついてないのが寂しげで良い。それでいて本体とは微妙に色味の差異があり改造部分が遠目にもわかる。

 今回巧がオルフェノクを庇ったとカイザが怒るが、ファイズは努めて冷静に話をしようとしている。今の二人ならお互いの腹に抱えているものを知っているはずなのでそんなに長引く争いではないことが目に見えている。