フラギイのメモ

Twitterで書き散らしたことを体系化しようとした。

仮面ライダー555感想:47,48話

 

 3ライダーのトリプルキックを食らったもののその場では絶命せず、王のために命を差し出す村上。部下に指示したように、己も王に自らの命を差出し笑う。かつて言った「死ぬときに泣くか笑うかは本人次第」の言葉通り笑ってオルフェノク繁栄に殉じた。ヒーローに命を奪われるくらいなら、自分の目的に費やしてやる。まさに勝ち逃げともよべる生き様だったが、「自分の種族の繁栄を確信して笑い、死ぬ」というとあの南雅彦も同じだ。妄執のなか死んでいったと捉えるとどこか哀しさも感じる。

 そんな両義的な見方ができる死に様だったとおもう。

 

 

 

 そんな村上と水面下の争いをしてきた花形がここに来て表舞台へ。木場やラキクロに王がオルフェノクを捕食することだけを伝え、あくまで「王は単純に強いだけの兵力にすぎない」と思わせるような誘導をする。その結果、ラキクロも木場も当面は王を倒す方へまとまった。やはり人を動かすことを慣れている様子。

 だが木場にならと王の本当の能力を伝えたら彼の絶望は花形の見込みより深く、結果的に彼もオルフェノクの王を守る方へ動く。まるで他人を駒のように扱ってきた花形がここに来て尽く駒の動きに翻弄されているようだ。これも行いが返ってくる一つの形だろうか。

 

 

 花形の意志はやはり村上と同じく王を探すことだった。そして両者どちらもそのために孤児を求めていた。真理たちに手を差し伸べたのは目的ではなく別の目的のための手段に過ぎなかったのだから、草加の怒りはもっとも。

 真相を話す中で花形が発した「オルフェノクは人間と共存できない」という言葉が耳に残る。「やっぱり俺たちの間には争いしかないわ。皆、俺たち側が潔く滅ぼうぜ」と言っているのだ。最終的に出力される行動が人間の利益だから英雄のようになってはいるが、彼も境界線で“俺たち”と“あいつら”をわけて考えることを止めてしまった者ではないだろうか。そう捉えると、どちらかの絶滅を願い未来のことをあれこれ頭の中でこねくり回していたという共通点のある花形・村上・南の三人が死んでいったのは何やら示唆的である。

 

 

 

 

 そんな花形に後押しされオルフェノクの代表の道を進む木場。人間に絶望したと公言するが、木場は巧への好意が消えたわけではないので彼とは敵対せず味方に引き入れようとする。見ようによっては己の絶望を巧に知ってほしい・分かち合いたいという思いが根底にあるように見える。

 その後に、巧に対して「話すことはなにもない」といいつつ電話に出ているのはやはり彼に自分と同様に翻意してほしいからではないだろうか。巧とは対等な戦友で居たいから弱っているところは見せたくないのだろう。

 

 そんな巧とは違って、海堂へ見せる笑顔はどこか気が緩んでいるように見える。マンションで楽しく気楽に同居していた時代を懐かしんでいるのだろうか。

 海堂の理想はどうしたという問いに「そんな俺の理想を笑っていたのはお前だろ」という返す。海堂にとっては図星だから言葉に詰まっていたが、微妙に論点をずらしている。やはり諦めたと口にするのは今でも嫌なのだ。だから巧にも「自分は目が覚めただけ」と強がるのだ。

 

 だがまあ「根はいい」以外の部分で相手へ人付き合いの労力を相手任せにしていた海堂にも責任はある。もしかしたら喧嘩はしょっちゅうだがその分本音を互いに知り合った洗濯屋組と、なんとなく反村上でより合って意見がぶつかるまではせずに済ませていたマンション組の対比なのかもしれない。

 思えば序盤はマンション組のほうがまともで空気が良いという感じだったのが、後半でこんな分解を迎えるとは…

 

 ただそれでもその“根”の部分は譲らないのは海堂の良いところだ。なあなあにせずベルトをきっちり返却した上で、己の力や三原に頭を下げて協力してもらい戦っていくところに彼の言葉にしない謝罪が見える。

 

 

 ライダーサイドで大きな変化があったのが今回散華した草加。巧のオルフェノクバレ以降、己の本性もばれどうにも空回りしていた感のある彼。だが、真理たちの態度を見る限り決定的に嫌われているとまでは言えないのに、自らを誰からも助けてもらえないと決めつけ孤立していっているように見える。

 

 そういえば今回草加がカイザギアを使える理由が明らかとなった。かつて流星塾同窓会被害者に施されたオルフェノク化手術の失敗の影響でカイザギアを使えたというもの。あの澤田が唯一の成功例と言われていた実験だが、草加もまた部分的に力へ適応していたのだ。それが頭を弄られる前に脱走し、今まさに孤独となってる。まさしく仮面ライダーだ。そうか?そうかも?記号だけ見れば仮面ライダーだ。

 

 前回までの感想で書いたとおり彼が頑なにオルフェノクとの徹底抗戦を主張するのは「自分が今まで命を奪ってきた相手にも心があるなんて今更受け入れられるか」というものなのだろう。彼は口でこそ「全てのオルフェノクを倒す。父であっても」と公言し己の正当性を一貫させようとしていたが、目の前で花形が灰化することで振り上げた拳の向ける先を失ってしまった。口でこそ生きて戦うと意思を固めているが彼の中でなにか張り詰めていた糸が切れたようにも見える。その後彼が散華したのはある意味で自然な帰結だったように見える。

 草加の死に様だが「自ら孤立していってしまった男が自分のもう一つの姿に殺される。そこには想い人はおろかライバルも仇敵も居ない。自分だけの世界」というものだ。因果応報云々というより、これが草加というキャラの最も輝く散り方なのだろう。滅びの美学があると思うのだ。

 

 

 そんな草加のことを誰よりも気にかけていたのが、彼から最も攻撃を受けていた巧だ。言葉通り、草加が木場の居場所など知るわけはない。だがそんなことは巧もわかった上で彼に話しかけているのだ。草加が孤立していくのをとめるために。

 もちろんだが、真理や啓太郎も草加の棘のある発言を咎めつつも彼を除け者にしたりはしていない。平常通りに接している。だからこそ草加が自ら孤立していってるのことに巧は心を痛めている。それを示すように草加の元へ駆けつける巧のモノローグは痛々しい。草加の慟哭から彼の心の傷を知り、また草加も巧が何か秘密を抱えているのを察していた。お互い仲良くはできないが抱えているものがあることを理解し合った仲なのだ。また、長田を救えなかったのだから、これ以上人を死なせたくないという思いも一層強いのだろう。

 

 

 そしてもうひとりのライダー三原は、草加の指示だけでなく自ら考え動くように。海堂という友達の友達くらいの距離感の者の頼みにも彼の真剣さを感じ取って応じ、花形との約束よりも優先するあたり彼の人の良さがにじみ出ている。またそれは人当たりの良さだけでく、今自分に必要なことを自分で考えているということなのだろう。

 

 

 

 

 オルフェノクの力は人間の肉体には負担が大きすぎるため、やがて死に至る病だという。王はただ単に強いだけでなくその難点を解決できる。それを知る者と知らぬ者でまた行動が違っていくことに…

 

 

ファイズ&オルフェノク

 冒頭は3ライダーと村上の決着。砲撃戦ではスライガーが、格闘戦ではバッシャーが優位なように見えた。そして戦いを決めたのは至近戦闘になったときに打撃を出せるサイドバッシャーの腕だ。やはりロボには咄嗟の格闘戦をこなすための腕が必要なのだ。 

 その後のライダーとローズオルフェノクの格闘戦も見ごたえのある殺陣。3人の打撃を確実に捌いていくが、それでもライダーの巧みな連携に少しずつ防ぎきれないものが出てきてそれが増えていき、最終的には組み付かれてしまう。そんな流れが自然に表現できていると思う。

 

 今回登場したライオトルーパー。まさに量産型ファイズの様相。ファイズギアそのものを量産できないのかとも思うが1話での鉱物状の結晶物や溶液の中でのセッティングからして、ファイズギアは製造環境の調整が面倒なのだろうか? 一つしか作れない理由はないが、かといって戦いに間に合うような短期間で作れるものでもないのだろう。また、他人を駒として見がちな花形だ。もしかしたら王と戦って全員生きて帰れるわけがない。ならば犠牲を折り込んで前衛担当を作ったほうがいい…などとかんがえてそこから物量戦に舵を取ったのかもしれない。

 

 そして今回目を引いたのがスネークオルフェノクとデルタが肩を並べて戦う光景だ。ごく自然体で人とオルフェノクが共存している。木場が追いかけつづけた理想を彼が敵対した結果、叶ってしまった哀しさもあるが。

 スネークオルフェノクは元々さほどつよくなかったことに加えてこれと言って戦闘経験も積んでいないため、ライオトルーパーのベルトを撃破とまでは行かない。だが彼の気合でカバーし、連打からの蹴り飛ばや、多人数で囲まれたときも巧達のアシストに的確に入ったりと見事に奮闘している。

 そしてデルタやスネークの奮闘に手に汗握ったところにファイズが駆けつけてくる頼もしさの演出も良い。それより前に多勢に無勢に苦戦していたため、今度はアクセルを使うタイミングを見計らって一掃するというのも巧の機転が利くところが現れている。