フラギイのメモ

Twitterで書き散らしたことを体系化しようとした。

仮面ライダー555感想:17,18話

なぜオルフェノクを倒すのをためらうのか

 これはまず「目に見える範囲で命を奪う判断を下していいのか」ということだろう。前回の長田の人助けと殺人の両方を見たことですべてのオルフェノクに人の良心が存在しているのではないかという懸念を抱くことになった巧。こういった問題に対して、視聴者は「良い怪人だけを助ければよい」という結論を急いで下しがちだ。それは神の視点で、登場人物よりは多くの情報を得ているからであろう。しかし巧の視点から見た「良い怪人」の基準とは何だろうか?どれだけ判断材料を集めればいいのだろうか?もしかしたら何人も人間を殺めているオルフェノクが気まぐれに善行したところを偶然目撃するかもしれない。今まで率先して人を守っていたオルフェノクに少し魔がさしたところをたまたま目撃しただけかもしれない。ある一場面を見ただけで命を奪っていいのか。いや仮にその人の人生すべてを知ったからとて自分が捌く立場にあるのだろうか…。

 

 

オルフェノクを倒すことの是非

 結論から言うとこのエピソードでは書かれていないと思う。まあこの作品はそういった結論を作中の正解として出すことはこの先もしないだろうが。555という作品は人物の出会いや怪人の力については偶然や「そういう能力はそういう能力だ」と割り切るところがあるが、人物間のぶつかり合いや、特定の人物の主張が作品世界における正しさに直結してしまわないように等…そういったものについては安易に固めてしまったり意図せず偏ったりさせてしまわないような繊細さを見て取れる。

 巧について見てみると、彼は最後までオルフェノクの命を奪ってもよいのだろうかという疑問に対し答え(悪く言うと罪悪感を軽減するための言い訳)を出せてはいない。だがそれでも「罪を背負う」という形で、納得できないものを飲み込んで戦うことが出来る。

 木場の方は、己の罪の意識、正しさ…そういったものに対する答えを求めて動けなくなってしまっていた。己が正しいという立場で戦えたオウルオルフェノクに対してはあれほど勇敢であったのに。これは木場の潔癖さや誠実さが別の形で現れたといっても良い。森下から千恵の遺品を渡されたときも、そのまま受け取って「俺しーらね」と適当にしまい込んでしまう卑小さがあればむしろ角が立たなかったかもしれない。彼は背負えないものを突き返す、ある意味での正しさを見せたことでかえって森下はかたくなになってしまった。人物の持つ面がいろんな形で作用する多面性を描いているといえる。

 こういった描写から見えるのは、この回で語られているのは「オルフェノクを倒していい基準はどこか」「倒していいオルフェノクとは何か」ではなく、「答えがわからなくとも、納得できないものがあっても並行して動けるか」ということなのである。ジレンマは終わらないのだ。無論、たっくんが語った罪を背負ってでも戦うという言葉。その罪が彼に降りかかるときがきっちり来る未来もあろうということも含めてだ。

 

 18話では一連の話に一区切りをつけた後の単独エピソードの趣があるが、その中でも啓太郎の善性やスマブレの王に対する試行錯誤が続いていることなどを視聴者にアピールしている。スマートブレイン前社長が孤児を1か所に集めていたのに対し、村上社長は方々を探し回っている。アプローチは違うが見通しは同じといったところか。

 また、木場の中でファイズの存在が敵として認識されているままであるのも引き続き見せられている。彼にとってはオルフェノクの方が身近な存在でありファイズが異形の鎧の戦士なのだ。しかも海堂から得られる情報もどう解釈しても「オルフェノクの命を奪うことを使命としている」というものだ(しかも行動パターンに対する認識だけなら現状の巧のスタンスとなんら齟齬はない)。まずファイズをとめるという行動に出るのも自然なことであろう。

 

 

ファイズ&オルフェノク

 今回登場したアルマジロオルフェノク。その装甲で守りを固めた姿は妹像を守ろうとする心象の表れなのだろうか。使徒再生であり、なりたてにも関わらず武器を二つも精製できるその強さは妹像を守る意志の強さの表れなのだろうか。

 複雑な背景を持つアルマジロオルフェノクと、そういった背景もなくただ力をふるうフライングフィッシュオルフェノク。その二人を同時に相手取り、どちらとも対等に戦うファイズの絵面は、「人に害成すのならどのような者であっても戦う」という巧の心情を表現しているといえるだろう。

 もう一人のゲスト怪人トードスツールオルフェノク。あくまでスマートブレインの刺客の一人でしかないものの、街中を大道芸のピエロとして徘徊し子供を追いかけるのはかなり不気味だ。それでいて怪人体はキノコと虚無僧を融合させたような無骨な出で立ちなのも面白いギャップがある。