フラギイのメモ

Twitterで書き散らしたことを体系化しようとした。

仮面ライダー555感想:33,34話

ついに巧がなぜ変身できるのかが明かされる回

 木場と怒りをぶつけあう巧だが、よくよく見ると「オルフェノクを信じた俺が馬鹿だった。」「オルフェノクであるお前には関係ないだろ」と激怒しながらも、「オルフェノクのせいで真理が死んだ」とは直接は木場には言わないあたり最後の最後で木場を思いやった物言いをしている。勿論実質言っているようなものだが、明言して一線を越えずにこらえる辺りは彼のやさしさか。ただそれが木場の誤解を解かない原因でもあるので難しいものだ

 彼がなぜ、変身できるのか。それはウルフオルフェノクであるからだ。ふたを開けてみれば最もシンプルな答えではある。なぜ彼がオルフェノクを見ても動じなかったのか、倒すオルフェノクにも心があることを知り苦悩していたのかなどいくつも思い当たる点はある。だが同時に攪乱要素もある。人間と思われる草加や流星塾生がカイザやデルタに変身していたことだ。序盤ではおそらく巧はオルフェノクではないかと思わせておいて彼らの登場がやはり別の要因があるのではないかと思わせる。別の観点から語ると、今でこそ類似例が増えたものの、555当時は比喩としてのライダーと怪人は同族という物があっても、ビジュアルとして「週1で殺される怪人とデザインも着ぐるみの作りもほぼ同じ」という例はあまりなかった。そういう点も相まってウルフオルフェノクの衝撃が増すのだ。

 劇中人物がうける衝撃も大きい。オルフェノクバレに当たって各勢力から最低一人ずつは立ち会う。これで誤解も曲解もできない。誤解とはある面で見たいものを見る・信じるという面をもつが、そういう意味で知りたくなくても巧がオルフェノクであることを刻みつけているのだ。555の人生に迷う者たちは皆見たいものだけを見、信じたいものだけを信じるが、寄りにもよって巧がオルフェノクであるという事態を混迷させることだけは知らぬ振りできないのだ。

 以前草加が言った「オルフェノクはすべて敵と思わなければ戦えないはず」。それは殺す相手の顔を見てしまえば心が耐えられない、それは草加であっても逃れられないため割り切るしかないという理屈だ。ではなぜ巧が戦えているのかという話になるわけだが、そんな理由や秘密などはなく、むしろ彼がオルフェノクであることでより重い重圧に耐えていたことが明らかになっただけだ。彼がオルフェノクを殺すことは人が人を殺すことと何ら変わらない。”向こう側”のあいつらは怪物だからと目をそらすこともできない。巧がいった戦う罪とはそういったすべての重圧を背負い、ただひたすらにやせ我慢の道を行脚することだったのだ。彼がオルフェノクであることで、一層彼のヒーロー性が高まったといえる。

 

 木場は対照的に怒りによって、巧が殺したと信じてしまう。いつもの彼なら信じないだろうが、巧のオルフェノクへの敵意を見て自分への害意と混同して認識してしまい、悪い方向の想像を作り上げてしまうパターンなのだろう。そんな彼が自分に敵意を向けていると認識する人間が実はオルフェノクであった。その事実にどう向き合うのだろうか。

 

 

 草加も真理の危機を通して彼の掘り下げも行われた。真理の状態を悲しみながらもオルフェノク討伐を優先するところを見ると、やはり彼の中には優先順位があるのは確かだ。しかし場当たり的に「ベルトを渡せば真理を助けてもらえるかも」「やはりベルトを渡すわけにはいかない」と思い浮かんだ行動に出ては訂正してるあたり、直情的な性分が隠せずにいるように見受けられる。彼の行動はある意味では私情を滅して人を襲う怪人との戦闘を優先する模範的な“人間のヒーロー”である。もちろん彼の真意はまだわからない。だが、その行動がどう作用するかはまた別ということが如実に表れている。アギトで葦原が木野に言った「お前の真意はどうであれ、お前の言葉によって俺は希望を持った。だからお前の意思は俺が継ぐ」というやり取りが別の形で表れている。真意が別にあるのが事実なら、表面的な言葉の作用もまた事実というわけだ。

 そんなこんなで結果的に周囲を鼓舞する草加。その頑なさがあるときは強さとして作用するのが前述のとおり面白い。

 澤田との因縁もどんどん強固になっていくが同時に彼を助けもする草加。前回のオルフェノクの心を見ては戦えないはずだ発言と合わせると、実は本当に澤田が殺されるのを見たくない心情もあったのではと思う。

 そうやって奮闘している草加だが、真理の死に目に立ち会えない。草加一郎の人違いのときといい、こういうところで真理とすれ違うのが彼女とは縁がないことを象徴している。

 

 草加に叱咤され、デルタに変身した三原。しかしまあ、自分が育った施設がオルフェノクだのベルトだのに関与していると知れば縁を切りたくなるのも無理はないとおもう。

 そんな三原たちを未だ付け狙う澤田。念願かなって真理を殺したというのにまだ残りの流星塾生と対等の勝負にこだわる…人の心を全く捨てきれていないことがわかる。

 

 

 真理の体に現代医学とは違う治療の痕跡。しかもそれがスマブレで処置された。やはり同窓会はスマートブレインの陰謀の一環ということだろう

 

 今回はベルトが特に流動していた回だ。

遊びでベルトを渡す北崎

自分のためにベルトを渡す澤田

自分を戒めてベルトを手放す巧

適材適所を願ってベルトを渡す啓太郎

555はベルトをめぐる物語だということがよくわかる。

 

 

 

 

 

ファイズ&オルフェノク

 溜めに溜めたデルタの初キックは草加。北崎の凶悪な強さを表現しながらも、ギミックのお披露目は怪人をかっこよく倒すことに使われるあたり、本作のひねくれている部分と素直な部分のバランスといえるだろう。デルタの拘束マーカーはデルタムーバーから射出され、必殺技の時にはそれをしまうなり持ったままキックするなりを迫られる。このあたり、デルタの「強力な出力を持つがギミックが練りこまれていない感」がよく出ている。

 主役ライダーを登場させるというのはかなり強い縛りと見受けられるが今までは他人が変身したファイズを出すことで巧が変身できない展開をじっくり書いていた。しかし、今回は他人が変身したファイズも出てこない。ウルフオルフェノクを印象付けるためにかなり頑張って通した構成なのではないだろうか。

 

 そしてこの2回にわたって、レギュラーも含むとはいえ4体も新規怪人が登場したのが豪華だ。

 ウルフオルフェノクは前述のとおり、主人公が変身するが他のオルフェノクと違う特異性を持たせられたりはせず多くのオルフェノクの中の一人でしかないことが徹底されている外見だ。巧は言ってしまえば特殊なバックボーンを持たない。むしろそれらを持っているのは同窓会の日に秘密を抱える草加たちだ。白倉Pが著書に記したヒーローの構成要素の一つに「外界からの漂流者・来訪者」「変わった出自」といったものがある。そこへ行くと巧は過去が語られず流星塾生ではないという点では外部からの来訪者だが、オルフェノクとしては大勢の一人でしかないので変わった出自とまでは言えない。まさに英雄と一般人の境界に居るといえる。

 そのデザインフォーマットこそは他のオルフェノクと揃えられているが、巧が変身する存在としての練りこみはしっかりとされている。前から見るとヘルメットのような頭部や刃が生えた手足など鋭利な印象を与えるが、後ろからは柔らかそうな体毛が見える。それは巧の「ぱっと見はぶっきらぼうだが、付き合ってみると心根は優しく繊細ところが見えてくる」という点を表してるといえないだろうか。

 

 もう一人のレギュラー怪人ローズオルフェノク。ドラゴンと同じく同族を粛正するためにお披露目するというのが、村上のオルフェノク繁栄を願いながらも強行的・独裁的な性格を表している。そのデザインは鎧や装飾が少なくクリアーパーツを使用した頭部や白い体色が美しい。多くのオルフェノクが鎧や棘を着こみ、それが戦うイメージの繁栄であるならばそれは村上にとっては戦う際に身を守る必要がない自信の表れなのだろう、事実、あのスパイダーを圧倒したのはドラゴンに比肩する。

 

 ゲストのカブト&クワガタは村上直属の手駒として登場。デザインは甲虫を武者の甲冑に昇華したストレートに強そうなデザイン。フィクションではカブトムシの英訳はビートルだけで済まされることが多いものの、本作ではライノセラスビートルオルフェノクと狭義の英訳を使用しているのが面白い。単体ではライダーやスパイダーに対しては分が悪いものの巧みな連携攻撃を生かせば彼らを追い詰める実力は絶妙なバランスだ。ラッキークローバーはやはりタカ派オルフェノクにとって優雅な生活ができるモデルケースとしての側面もあり、使いづらい場面も出てくるだろうので、村上としても自由に使えて強い兵力をスマブレの命令系統の中に置いておきたいのだろう。事実ラキクロは好き勝手遊んだり、あくまで外部協力者であることを盾に依頼をごねたりしたこともあったし…。