フラギイのメモ

Twitterで書き散らしたことを体系化しようとした。

仮面ライダー555感想:19,20話

 初期の数話では。巧と真理を振り回していた啓太郎だが、以後10話以上は逆に彼らに振り回される啓太郎という図式が多くなった。そしてこのエピソードでは再び啓太郎が主導権を握っている。構図は同じだが、今回が最初の時分と異なるのは、視野狭窄な使命感に燃え上がるのではなく、真に恵子を思いやる気持ちによるものだ。”顔のない大勢”のためではただ気持ちが空回っていたが、助けたい相手が明確になる事ですべきことが明確になったのだろう。それは啓太郎も幾度もの戦いを目にする中で成長した証なのかもしれない。

 村上はジェイの庇護がなければチャコは生きていけないといったが、恵子と巡り会って新たに生きるアテを見つけた。運よく別の飼い主に拾われただけではあるが、そういった運の要素もあるからこそ生きる上では何が起こるかわからない、他人が誰かを生きることはできないと断定することはできないのだといっているように見受けられる。そして、恵子もまた九死に一生を得た子供だと一方的にスマートブレインの計画に利用されそうになっていたのだがそれも前述のとおり、阻止された。村上の目算は2つも破られたのだ。一人のライダーと一人の人間によって。

 

 

 

 今回はそんな啓太郎をはじめライダーサイド、オルフェノクサイドともに笑える日常場面もよく映されている。啓太郎が真理を狙っていると思いこみ、応援する巧。長田を忘れられるなら良いという善意がある分余計に笑える。その際机の下で足を足で掻く真理の生活臭を見せるのも更に笑いを増している。オルフェノクサイドでもせき込み始めた二人から微妙に距離を取り始める木場も面白い。彼らは超常の問題に挑む者であると同時に年相応の生活を送る者であることが現れている。きっとその二つの間にはきっちりとした境界線といったものはないのだろう。 

 木場と巧の交友も少しずつ進んでいるのだが、そうやって巧に興味を抱き始めている段階で、ファイズが巧を踏みつけている場面を目撃するものだからより一層ファイズへの憎しみを強固にしてしまっている。

 そういえば今回はオルフェノクであっても病にかかることが明らかとなった。長田・海堂よりも真理・啓太郎の方が具合が悪そうなので、体力差分の余裕はあるように見受けられるがそれでもバイトに行けないほどの疲弊はしている。

 

 今回面白い掘り下げがあったのは琢磨だ。彼は戦闘そのものでは負けていないのにどうも落ち着かない様子。自分で言っている通り、仕事を進めるペースは自分で決められるのだから気にする必要はないのだが、仕留め損ねたというだけでピリピリしている。幹部怪人なのだからいずれはライダーに負けるのだろうが、負け始めてからわかりやすく崩れ始めるだけでなく、この段階からキャラの掘り下げがなされている。

 彼が「ラッキークローバーはあくまでも村上の協力者で合ってスマートブレインの人員ではない」と強調することで彼のそういったところにこだわる神経質さと、本来の関係性を踏み越えようとする村上の急進性がわかる。

 また、仕事そのものは普通に戦いを仕掛ける琢磨と異なり、わざわざ最後の晩餐を送り付ける影山は彼以上の残虐性を秘めているように見える。

 

 

 

ファイズ&オルフェノク

 オートバジンが厄介と見るや、疾走態へと姿を変えるホースオルフェノク。単純な移動形態ではなくバイクに乗ったライダーと互角に打ち合う格闘能力を見せる。おそらく人型ほど小回りはきかないので普段の肉弾戦では使わないのだろうが、ライダーとの騎馬戦に対応できる能力を持っているところがライバルらしさを強調している。そしてそんなホースを同じ剣技で押すロブスターオルフェノクの実力が示されている。ロブスターオルフェノク甲殻類の外殻を鎧に昇華したデザインが見事だ。騎士のようなデザインだがホースとは与える印象が異なっている。

 今回、決着となったクロコダイル。姿は最終形態のままだが武器は最初のバックラーを使っている。やはり剣より打撃戦が得意なのだろうか?今回クロコダイルオルフェノクへのトドメとなったグランインパクトへのつなぎ方は秀逸であった。そもそもグランインパクトは単体では拘束ビームを出さない分、技としての個性や見ごたえに劣る。単発で使っても他の必殺技演出の下位互換にしかならない。では、グランインパクトが光る場面、そしてそれに連なる個性は何だろうか。それは欠点と表裏一体。拘束ビームを撃たないボリューム不足の裏返しとして技の出の速さ、準備動作の少なさにあるのだ。それを生かすには連携の中でこそ光るのだ。

 

 どう見てもジェイほどの核があるようには見えないスコーピオオルフェノク。それでもあっさりオルフェノクを一人殺害したのも事実だ。本当に実力を隠し持っているのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。

 ちょっと想像してみるが、人が人の命を奪うのは(彼我に大きな年齢差などがない限り)殺意さえあればそう難しくはない。同様にオルフェノクオルフェノクを殺すには、戦闘能力差よりも殺意の有無によるところが大きいのかもしれない。ラッキークローバーが上の上と呼ばれるのは、オルフェノクの支配体制を作るためには同族の命を奪うことさえ容易いその冷徹さを示しているのかもしれない。