フラギイのメモ

Twitterで書き散らしたことを体系化しようとした。

仮面ライダー555感想:25,26話

 

オルフェノク、デルタギアそれぞれの力に溺れる人たちが出てきている。根源は違えど力そのものが導いてくれるなどということはなく、それを道具として制御できるか否かにすぎないドライさが描かれている。

 

 力に溺れるラビットオルフェノク小林。海堂と対照的なのはもちろんだが、ファイズアクセルという力を得ても何も変わらない巧とも対照的なのが興味深い。かつて小林に教えた指を弾いての変身を再度する海堂。与えてしまった影響に対する責任を自分の中で再確認し外部へ表明しているのだろう。相手へは伝わっていないだろうがそれでもやるのが海堂という男なのだ。

 しかし、今回は海堂は善意でやっただけに彼にとっては災難な部分もある。たしかに彼のちゃらんぽらんな物言いが焚き付けてしまった部分はあるが、同時に彼のその楽天的な明るさが落ち込んでいた小林の心を勇気づけたのも間違いない。どんな物事にも長短両面があるが、海堂の物言い・スタンスのその両方の作用をもたらした例だろう。

 小林もある意味では不幸だと言えるかもしれない。かつてスネイルオルフェノクの例であったように、オルフェノクの力を使って成したい目的などないのに、ある時その力の強さに魅入られて殺人に踏み込んでしまった例がある。目的を持って作られる改造人間とは異なりオルフェノクの力そのものに目的はない。オルフェノクの生誕過程故に怨恨などが付随したり、スマブレに唆され目的を掲げることはある。それ故に小林の例は、怪物になってしまったことから勇気づけられて絶望から脱したものの、勢い余ってそのまま人としての理性の範疇からも脱してしまったということだろう。勇気づけられたいいが行き過ぎてしまった…バランスが難しい。

 木場も海堂の意思を汲んで最初は殴られているのを見守っているが、ラビットオルフェノクが武器(殺意)を取り出したら止めに入るのが粋だ。

 

 

 そして、同じく人を溺れさせる力としてのデルタギア。オルフェノクの力もベルトの力も人を惑わすという点で結ばれている。どうやら中毒性のようなものがあるようだが、沙耶なる人物はそれに惑わされない人間であるらしいので、それに打ち克つことも不可能ではないらしい。変身そのものに判定が存在するファイズ、カイザに比べると使用は誰でもできるがその高揚感に耐えられるかどうかを試すデルタギア。まさにオルフェノクサイドと同じことが試されている。

 

 そして今回、人を変えるとされる力がもう一つ。それは権力だ。

 琢磨曰く権力を持って変わってしまったという村上社長。たしかに芸術品になぞらえ、「芸術品のように人も0か100のどちらかでしかない(お前ら今の所0の方だぞ)」と嫌味を言ったり、ラッキークローバーに新人のお守り等という仕事をさせて、遠回しに相手への評価を下方修正してることを言外に告げるようなことをしている。

 しかし、村上の件に関しては権力に溺れるというより、立場が人を作るという言葉が適切なように見える。前回から村上とラキクロで意識の違いが見えてきている。村上は草加から様々な情報を引き出そうと交渉しているのに対し、自らのプライドから草加を攻撃した琢磨影山の姿が象徴的だ。ラキクロがスマブレ本社の外にいる互助組織であるのは確かだが、それ以上に村上の目的としているのはオルフェノクの勝利・安寧だ。彼の心情としてはスマートブレイン社長である以上に、オルフェノク全体のリーダーであるという責任感・重圧が先行しているのだろう。

 そんな村上の基盤の弱さを示しているのが、花形前社長だ。ベルトを奪い、地下で実験していたオルフェノクが流星塾の父でありスマブレ前社長。何故あそこにいるのだろうか。スマブレの地下にいるのに村上が手をこまねいているあたり、閉じ込められているのではなく、好きに出入りできる。もしくは前社長しか把握していない構造があって居所を特定できないといったところだろう。いずれにせよ村上は前社長と接触できそうな距離に居るにも関わらず捕まえることができず、スマートブレインのことさえすべてを把握しているわけではないのだ。

 

 

 

 

555&オルフェノク

 花形より渡されたカイザポインター。相手の鳩尾へ真っ直ぐ蹴りを入れ、悶えている間に拘束弾を打ち込むダーティな戦法は草加のキャラをよく表している。

 このツールの入手に当たって、草加は父からの戦いを促す声に誘われるような演出がある。ファイズアクセルが純然たる道具としてドライな演出をされていたのと対照的に、カイザポインター草加の父との因縁や戦いへ身を投じるような囁きなど、単なる力としてだけでなく付加価値のようなものが演出されている。そして、それは不穏なものを感じさせる。こうなるとファイズアクセルの素っ気なさの方が安心できるのだから、にくい演出だ。

 

 今回のゲスト、フロッグオルフェノク。面白い力を持っているが河内を命を奪ったのは使徒再生ではなく腕力(首の骨を折ったのだろうか?)だったあたり、オルフェノクの力を使うことには積極的出なかったことがうかがえる。そもそも噂の新人に襲われ、気が動転していたようなので災難としか言いようがない。

 

 

 そして、1話から姿を見せていたゴートオルフェノク。ヤギの角だけを記号化し、呪術の儀式に使うような仮面と融合させたデザインが過不足なくまとまっており魅力的だ。ストレートに強そうではないが、決して弱そうには見えない。この掴みどころのないデザインと、琢磨ファイズと景山カイザを武器や特殊能力ではなく純粋な格闘戦で圧倒するところが合わさって、底が見えなず図らずも村上の言った“這い上がれないほどの深淵”を感じさせる。