フラギイのメモ

Twitterで書き散らしたことを体系化しようとした。

仮面ライダー555感想:27、28話

 

 デルタのベルトを巡って色んなキャラの立ち位置や考えが掘り下げられる回なのだが、まず目についたのが流星塾生の仲間割れに同じような見解を示す巧と草加だ。もちろん同窓生のあれ程の醜態を見せてはもう言い繕うことはできないのもあるが。かつて流星塾で草加が描いていた絵は彼と真理の二人だけが描かれていたものだった。一方で、死にゆく同窓生たちへの思いもまた本物だ。総合すると、彼の中で真理への執着を上回るほどではないが、他の流星塾生よりは巧の実力を信頼しているところまで来たと言ったところか。本人は絶対に認めないだろうけど。

 また他にもデルタギアの仲間割れで憔悴する真理に気づいて寄り添うのは草加ではなく巧だったり、どんなときも食べるペースを崩さず戦いに備えるかのような草加の食事の様子が興味深い。もしかしたら草加には真理よりもオルフェノクと戦うことのほうが大事なのだろうか?

 

 

 一方で、デルタギアは各所を転々としているようだが澤田たちから奪って確保した沙耶が巧に接近した。

 レギュラーたちが巧の扱い方を心得て来たところに改めて彼のつっけんどんさに当然の反応を示す沙耶。我々視聴者もレギュラーキャラも巧の扱い方・見方を心得ており、ある種予定調和になっている。そこへ改めて外部からのキャラを接触させることで、巧の表面的な態度の悪さと、そこで一歩踏み出せば見えてくる巧の繊細さを再提示している。真理への気遣いといい巧の優しさが光る。

 

流し素麺が啓太郎、巧、沙耶の一方的な関心の方向を示している演出も面白い。

 

 

 

 今更木場を倒すという過去の仕事でプライドを取り戻そうとする琢磨。(別に村上は頼んでなさそう)。デルタに恐怖する前フリとしては十分だ。しかし、そういった身の振りを見ていると彼は自分が思っているほど人間の心を捨てられていなさそうだ。自分の戦いの成果がどうなっていようとプライドさえ保てればどこ吹く風の影山とは対照的だ。

 

 

 

 

 

 流星塾生でありオルフェノクでもある澤田。やはり流星塾とはオルフェノクを生み出す組織なのだろうか?

 澤田がオルフェノクとして活動する前に行う折り紙の儀式。折り紙は当然ながら自分で作るものだ。それを燃やすということは自分が積み上げてきたものを壊す。つまり過去の自分を捨てようとしていることの現れなのだろう。

 そして、今それをしているということはまだ人間の心を捨てられていない。彼は迷える人間として描写されている。ノッてるときはファイズとカイザ二人がかり相手にも渡り合うが、北崎には簡単にあしらわれれ、真理との再会の場にはプライドをずたずたにされてからやってくる。とても強豪怪人のお披露目には見えないが、当然これは意図的なのだろう。

 

 そんな過去の自分(折り紙)に触れることができる澤田に対し、誰にも触れられない北崎。それはコミュニケーションの不在を表す。

 

 

 

 言ってみればこの回は最初から悪のライダーとして設定されたデルタが出てくるのではなく、人間側の足並みの不揃い故に北崎にベルトを奪われてしまう展開。それでもそこの見えない北崎がベルトを手にすることでストレス以上にスリルが最高潮になるうまい展開。

 くわえてここで一つ想像できるのが沙耶がオルフェノクの可能性だ。彼女は使徒再生ではない武器の刺殺で死んだにも関わらず灰化した。もちろん、あれがスパイダーオルフェノク使徒再生である可能性もある。しかし前回のフロッグオルフェノク素手による格闘で殺害された流星塾生は遺体が残っていたところ見ると、もしかしたら沙耶もまたオルフェノクに目覚めていた可能性もある。だとするならば沙耶はデルタの力にもオルフェノクの力にも溺れなかったことになり、真理の言う彼女の強さは確かなものなのであろう。

 

555&オルフェノク

 今回登場したスパイダーオルフェノク。蜘蛛という一般的なイメージに反してゴリゴリの肉弾戦タイプ。実は蜘蛛には巣を張るタイプと同じくらい徘徊性や待ち伏せなどによる狩猟タイプの種も多い。もしかしたら彼はそんな狩猟型のイメージなのかもしれない。単純に剛腕なだけでなくトリッキーな動きも多い。デザイン面では蜘蛛の単眼をピックアップしたり、脚の意匠を頬に並べて紋様のように使っているところが面白いと思う。

 センチピードやロブスターが見せた光弾やワインと言った特殊な技は使わず、ひたすら肉弾戦で戦うところは澤田がまだ人間の心を捨てきれていないことを表しているようにも見える。

 都会的なイメージのファイズやカイザが今回は砂埃にまみれている(それでいてスパイダーにいっぱい食わせることは十分できるくらいには実力差は埋められる。もっと苦戦していたクロコダイルや初期センチピードのときは綺麗なままだったのに)のも文字通り彼らの心が泥臭く実直にぶつかり合っていることの現れなのかもしれない。