フラギイのメモ

Twitterで書き散らしたことを体系化しようとした。

仮面ライダー555感想:31,32話

 

 色んな形で信じるという行為が描かれる回だと思った。

 木場と巧は互いに信じたい気持ちがしっかりとあるものの、悪い結果が出てしまうことを恐れて相手を信じ切ることができなかった。それがずるずると悪い状況を作ってしまう。

 この二人は「コミュニーケションを取ればいいのに取らない」のではない。この二人は取りたくても様々な懸念であと一歩、半歩踏み出せないのだ。そもそもこの二人は話し合うとしておそらく争点すらも整理できない可能性がある。重要なのは変身して戦っていることなのか、自分に襲いかかってきたことなのか、はたまた誰かの命を奪っていることなのか。きっと互いの重要と思っている点も違うかもしれない。また、シンプルに相手が自分の命を脅かすかもしれないという懸念は重くのしかかるだろう。

 その結果、海堂に伝言を頼むという平時ならやらないであろう迂闊な行動に出てしまった。

 

 彼らとは対照的に一貫して澤田を信じ続けるのが真理だ。もちろん彼女にとっては昔からの友人という信頼に値する理由があるのだが、それを加味しても強固な精神と言えるだろう。こういうところで彼女が一人でベルトを管理できると信頼されるに足る人物だという説得力がある。

彼女が直向きに澤田を信じる光景は巧に木場を信じる勇気を与えた。

 

 しかし行動が対照的な彼らの辿る結果は近いものだった。

相手を信じず泥沼になった巧と木場。

相手を信じて命の危険に陥った真理。

これらを見ていると信じる信じないか作中の正解に直結するのではないということだ。

 大抵の場合、物語では相手を信じるという行為は世界に庇護される正解となる。だが、本作ではどちらが正解ということはない。選択がそのまま世界に守られるのではないと言い渡されているようだ。まるで「見返りのある答えの方を選びたいのか?」と…。

 

 また、これらと別の形で対照的なのが長田だ。彼女は木場に尋ねられたとき「ゆ知らないが乾巧は悪い人間ではないと思う」という返答だ。相手を信じる信じないではなく、己の直感を信じる。それはきっと彼女が一人で耐え続けるうちに身に着けた彼女の強さなのだろう。

 

 

 

 

 

 今回は草加の1面が垣間見えた。

オルフェノクは全て敵。そう思わなければ戦えないはずだ」の“そう思わなければ”の部分だ。木場を陥れるときに発した「スマートブレインこそ敵」という言葉と合わせると、草加も表層的には「異なる種族や立場とも仲良くしましょう」と言った一般道徳は知っている、オルフェノクの中にも人を襲わない者がいることを認識してはいるのだろう。それでも戦わねばならない・戦う運命に巻き込まれている場合、命を奪う相手をは全て敵でしかない、そう割り切らねば精神が保たないではないかと言っているのだ。ある面では一理ある。では巧はどういう気持ちで相手の命を奪っているのか。かつて語られた罪として背負うという気持ちか。それだけでなくまだ理由があるのか…。

 

 

 

555&オルフェノク

今回ようやく姿を表した北崎の戦闘形態ドラゴンオルフェノク。ライダーではなくオルフェノクを粛清するために出てくるというのが恐ろしい。そのデザインは、全体的にはマッシブだが顔は無表情な能面のようやギャップが不気味だ。ドラゴンというストレートなモチーフであり、シルエットはまさに竜の力強さを体現している。だが、一転顔を見るとわかりやすく相手を威嚇するでもなく脅すような覇気もない、ただ不気味さで満たされいるという底知れなさが魅力だ。センチピードを一撃で変身解除に持ち込むパワーが垣間見えるのも良い。

 そしてゲストのソードフィッシュオルフェノク。こちらもカジキを見事に剣士に昇華したデザインだ。狭いところでは剣が使えずスパイダーのトリッキーな肉弾戦に苦戦したが広いところでは舞うような動きで逆に優勢だったのもほどよい実力を伺わせる。ファイズにアクセルを使わせたのも見事。アクセルフォームは使うごとに違う特撮表現を使うことが課題として課されていたらしく毎度違うのだが、今回はファイズ視点で周囲が遅く見えるというものでのちのクロックアップを伺わせる。