フラギイのメモ

Twitterで書き散らしたことを体系化しようとした。

仮面ライダー555感想:39,40話


巧が真理たちの元へ帰ってきた回

 巧の帰還に尽力した真理。だが彼女のオルフェノクに対する忌避感の具体的な解決策は何も明示されていない。彼女のオルフェノクに対する恐怖は依然そのままだろう。しかし彼女は巧個人を助けたいから怖いという感情ごと現状を飲み込んだのだ。
 それはかつて巧が殺していいオルフェノクの選別基準を見つけることができず、あらゆる感情や矛盾、傲慢さを“戦う罪”として背負ったのと同じだ。
 彼女はオルフェノクが怖くなくなったから巧を助けるのではない。巧を助けたいからそのために動くのだ。だから、「こうすればオルフェノクは怖くない」などと解決策を提示しないから粋なのだ。

 巧の帰還を促したもう一人、澤田。彼のの苦悩。それは彼もオルフェノクになりたくなかったというものだ。それだけなら木場などこれまで出たオルフェノクと同じだが彼らは人間であろうとするのに対し、澤田の場合は「なりたくはなかったが、なってしまった以上はその現状を肯定しなければこれからを生きてられない」という思いからオルフェノクを賛美していたのだ。だから結局人の心を捨てるのは本意ではないため、捨てられなかった。
 今回明らかになった流星塾同窓会の経緯からしても彼としては「皆で同じ目にあったのに、ほか全員は人間で居られる範疇で済んで俺だけこんなことになってるんだ」というやり場のない怒りもあったのであろう。流星塾生に対しての、失敗作が身を寄せ合って生きてるのは惨めで腹立たしいという発言はその裏返しだ。
 勿論だからといって彼の凶行は草加の言うとおり看過できるものではないが、スマブレによって人生を歪められたという点では巧の言うとおり彼もまた被害者なのだ。澤田の人生に対し、正しさの面から論じたのが草加ならば優しさの面から触れたのが巧なのだ。自分でさえも整理がつけられない感情やそれのままに生きたことを、真正面から見てくれた。だから澤田は流星塾生でもない巧に心を開いたのだ。ウルフオルフェノク判明からは苦悩する巧の姿が多いがこうして彼のやさしさもまた描かれているのだ。


 その頑なさが周囲との不協和音を生み出し始めた草加。彼は流星塾同窓会襲撃の犯人が巧だという疑惑は半日かけて飲み込んだが、真犯人は北崎だという情報は、それが敵対している澤田からのものであってもすぐに信じた。やはり巧に歪な形の信頼を寄せているのだ。
 また、彼が澤田にゴルドスマッシュを放つとき拘束マーカーの撃ち方がいつもの合理的なものではなく荒々しいものだった。やはり本心では澤田の命を奪うことに多大なストレスを受けていたのだろう。澤田の話を聞いたとて、今更彼を人間だと認めるわけにはいかない恐怖もあったのではないか。

 今回、新たに判明した流星塾同窓会襲撃の犯人は北崎。しかしそれならば村上は彼から聞けば事件の真相を知れたわけで、わざわざ草加接触する必要はないはずだ。しかしあの北崎のことだ。殺しの仕事だけ請け負って事件の全容は知らないことが容易に想像できる。そういった意味ではそれを指示したさらなる真犯人がいるということであろう。
 そしてその件の村上社長はいまいち人事が冴えない。巧も澤田も彼の目論見通りには動かなかった。やはり村上はあそこまで成り上がるにあたって己の手腕一つで上り詰めたのであり、他人を使ったり値踏みするのはさほど得意ではなかったりする…のだろうか。対して巧の真意や澤田の危うさを言い当ててきた影山。強さの面ではライダーに遅れを取り始めているが、頭脳面で冴えているところが見えてきている。


 デルタギアの装着者、三原は巧について何も知らないからこそ聞く。レギュラーで固まってきた今の時期にそれを言葉にしてくれるのは付き合いの浅い彼ならでは。
 また、やはり受動的な理由で変身してきただけなので中々覚悟が決まらないのが良い

身寄りのない人間をさらって改造する。スマートブレインのやっていることは明らかなほどにショッカー。流星塾生はおやっさんのいない、手探りで失敗していく仮面ライダーの死屍累々なのだ。思えば巧が本編前に働いていたという喫茶店のマスターや木場の師であるスクィッドオルフェノクがすぐに退場していたことから作品内で父性の排除が一貫されている。
 しかも孤児を使って何かしようというのは村上の時代に始まったことではなく、花形──真理達が優しい父さんだったと語る人──の時代から行われているのだ。

 


ファイズ&オルフェノク
 ウルフオルフェノクをノックダウンに追い込んだローズオルフェノクファイズ&カイザのふたりと連戦。だが、疲れている様子は見えずライダー二人がかりの攻撃でも重い打撃は全て捌き、的確にカウンターを殴り返すのが試合巧者ぶりを感じさせる。ドラゴンのようなパワーはないがそれでも必要な腕力は備えており、常に1対1になるよう片方を大きく打って下がらせておく見事な格闘技を見せてくれる。

 そして今回登場したブラスターフォーム。一気に押し切るアクセルとは違い、オルフェノクの攻撃をしっかり受け止めた上で引かずに打ち返すパワーファイトが特徴的だ。これまで誰も太刀打ちできなかったドラゴンに初めて土をつけたのも印象強い。
 そんなブラスターフォームだが強化アイテムを入手した経緯は淡白だ。使用する経緯も真理の激励を受けて入るが、今一歩足りず状況に迫られてという感が強い(巧を完全に帰還させるためのもう一つのピースが前述の通り澤田の慟哭だ)。ドラゴンを倒す手段に過ぎず、彼にとって力は道具に過ぎないというがアクセルの頃から徹底している。この作品は力が持つ誘惑を様々な形で描写しているが、それに溺れないのが巧であり彼がこの世界の英雄足り得るところだ。彼は記憶が曖昧で凶行の疑惑があるオルフェノクの力への恐怖こそあるものの、溺れる方向には行かない。 
 それが別の形で現れているのがパワーアップに対する淡白さだ。どんな物事も表裏一体。都合よく良い作用だけ及ぼす、悪い作用だけ及ぼすといったのとはあまりない。パワーアップという力に何か思いを乗せたり、それの体得による心情や意識の変化というのは、同時にそれに溺れたりする危険性も孕んでいるのだ。何せその力に関心があるのだから。その負の面を描いているのが、力に溺れたオルフェノク達だ。そういう点では巧は強化から良い影響も悪い影響も受けない。徹底して中立だ。
 むしろカイザポインターに「父の思い」という強化アイテムらしい文脈が乗っており、そしてそのほうが不穏に見えるのだから、中々に人を食った作品だ。前述の通り、父性が排除されるこの作品で父の思いが乗ったアイテムはそりゃ不穏なものだろう。

 今回のゲスト、オクラオルフェノク。幼児誌のコンテストの入賞した怪人なのは有名なところだが、オクラをモチーフに使う発想がすごい。中々普通には出てこないモチーフだが、しかしツクシやフジツボの怪人が出るこの作品世界ならいてもおかしくない不思議なオルフェノクだ。
 オクラをバイキングの兜に見立て、種子をリベットのように昇華したデザインは見事。ツクシやオクラのような風変わりなモチーフでもこれだけかっこよく仕上がるのだから、自分がオルフェノクになったらどんな姿になるのだろうとワクワクしてしまう。