フラギイのメモ

Twitterで書き散らしたことを体系化しようとした。

仮面ライダーアギト感想:第41,42話

改造人間津上翔一の誕生エピソード、そしてすべての戦いの原因が描かれた



翔一
 葦原が真島から聞き出した木野の過去から三者三様の反応が見られるのが面白い。できる限りの理解を試みる氷川。自身の苦労も相まって彼の心情を察する葦原。そして、過去への執着と贖罪にピンとこない様子の翔一。過去に生きることにピンとこないところを見せられているからこそ、木野の「翔一も本当は過去に生きるタイプの人間」という台詞がより衝撃的になるのだ。
 そして、記憶を失う前の翔一は木野の言葉通り、普通に過去に執着する普通の人間だったのだ。人類にとって僥倖だったのは翔一が記憶喪失になったことだろう。かつて沢木が語った「自我を超越した者が力を制御できる」という台詞。今の成長した翔一たちに当てはまるかはわからないが、物語前半の頃は当てはまっていた。翔一アギトのみが上手く戦えており、葦原は力の意味に悩み、あかつき号乗客は力に溺れていった。その翔一も元の人格の時点でできていたわけではない。彼は執着する自己を失い、空っぽの仙人となることで力を制御できたのだ。言わば精神的な改造人間なのだ。それも偶発的に生まれた。もし記憶が失われず過去に執着する“かつての翔一”のままだったら、他のアギト候補者のように悩み、アンノウンと闘うどころではなかっただろう。ほんの少しの掛け違いで黒い青年の意思から人を守る存在が生まれたのだ。
 白倉Pが著書で語っていたヒーローの出自の一つに「出自不明の来訪者」がある。そこへ行くと翔一は元はなんてことない市民の一人だったが、記憶を失うことで出自を失い、英雄としての道を歩みだしたのだ。そして、その後の足跡は我々が知る通り。

氷川
 警察官としての職務での詮索ではなく、自分もアギトになりたいから聞いている。それを自覚したことは大きな一歩なのではないだろうか。かつては彼にとってアギトとは憧れの他者であり、見たい一面だけを見ていた。それが正体は翔一という、知らない一面を飲み込むことでアギトとは誰かだけの占有物ではない、自分にも手が届く存在なのだと新たな階層に有ることに思考が至ったのだ。憧れの対象ではなく、(実際に成れるかは別としても)自分だけのアギトになる道があるかもしれない、そんな新たな一面を新たに発見したことも「他者の思いもよらなかった一面」を見ることができるようになったということなのだろう。
 ただそこでパトカーのスピーカーを爆音で鳴らしながら追いかけるのは彼の愛嬌だ。


葦原
 氷川に冷たい態度。関わらせたくないが口下手なので彼との溝は埋まらない。ただ葦原は葦原で過去に警察からアギト捕獲作戦のとばっちりでしこたま撃たれているのでおあいこといえばおあいこという気持ちなのかも…?
 そんな彼だが、それまでの木野の言動から彼の過去を推察する。その会話の中で、さり気なく「俺も昔は過去に生きていた」と言っているが、今はそうではないということだろう。あかつき号の過去も今はさほど執着していないので、成長したと見える。しかし、もしかして木野に裏切られたのが最後のひと押しで老成してしまったのとも考えられる。今の彼には追いたい“目的”はあるのだろうか…?


 木野との和解のために取っ掛かりとなるのは、人の価値観や思想に距離をおいて尊重できる葦原、そして実際に解決するのはグイグイ踏み込める翔一という役割分担がよくできている。はじめから考えを押し付けていては人は逃げていってしまうし、尊重するといっていつまでも距離を取り続けていっては木野のような人間には近づけない。それぞれ両者がいなくてはならないことをよく表している。
 実はこの二人の違いはかつて12話での湖でのやり取り(幻想に生きるのは当人にとってどうか問答)にもすでに現れていたが、根っこは同じまま良い方向に相互作用が出ていると思う。こういうところでも二人の積み重ねが見える。


木野
 エクシードギルスに打ちのめされたが思想的にまだ彼らとは和解も理解もしていない。やはり彼を助けるには翔一との心の接触が必要なのだ
 また、あかつき号でアギトの力を浴びたと知ったとき、絶望ではなくそこに思うところがあるようなリアクションが面白い。彼にとっては雅人への罪の意識は、体が怪物になることよりも、そんな不条理により天使に狙われることよりも、自分と同じ怪物に実力で打ちのめされることよりもずっとずっと堅固なネガティブなのだ。

あかつき号
 皆、なんてことない、笑いもすれば悲しみもする普通の人だったと改めて見せられるのが視聴者の哀しみを誘う。今回初めて映像に登場する葦原父にしたってとても放浪した末に衰弱死する人には見えない。
 木野の話でそれぞれの想いや夢を思い出し改めて人生の選択をし直す者たちの姿も見られたのが、より悲劇性を感じさせる。
 あかつき号乗客がその後それぞれの行動を取っているとき、榊が積極的に翔一に接触してきたのは、船で彼女なりの恩義を感じていたからなのだと思うと彼女に残っていた人らしい温かみとそれすらすり減らしてしまう悲劇に思いを馳せてしまう。
 水のエルが悪辣なのはあかつき号乗客をすぐには殺さなかったことだろう。いずれ殺すのに、わざわざ恐怖や乗船への後悔の時間を与え続けたのだ。もちろん、彼の主の言う「人間である部分を愛している」ことに対する配慮もあるだろう。彼らなりの慈愛や配慮、譲歩はあるのだ。ただそれは個々の人間へ向ける発想が毛頭ないだけで…。


青年
 今回明らかになったアギトという種の誕生経緯。人が創造主の被造物だけであり続けるのではなく変わっていくべき。その主張は立派だろう。だが、その方法はかなり強引だ。力をばらまいたタイミングも、直接対決で負けたからちゃぶ台返しを行っただけ…と見ることもできる。その一方でその尻ぬぐい故か、最初のアギトの血縁者(翔一)を助けるために最後の力を使ったりもする。我々には理解できない思考回路で動いているように見える。だからこそ人間でも理解できる聖人ではなく超然的な神だと思えるのだ。 また、そういった経緯もあるので、アギトは光の力ではあっても、字面から連想されるような神聖視したくなるものでも身につけるだけで聖人に成れるもでもない、純然たる力であると見ることができる。それをどう活かすかは人間次第なのだ。

 黒い青年も沢木が自分に忠誠を誓ったと嘯く。そもそも彼なら沢木の本心をとっくに見抜いているはずだ。それでも状況だけで忠誠を誓ったと言えるのは状況しか見ていない。中身など大して見てはない、かつて彼が発した「人は全て同じ」だということだ。

アギト&アンノウン
 エクシードギルスになってアンノウンの感知が明確になったり(以前はまばらだったり近くのアンノウンにしか発動しなかった)、GXランチャーを食らっても継戦できる防御力があったりさりげないところで基礎能力の上昇が見られる。
 パワーアップしていきなりボスとの戦闘だが、苦戦しつつも主役のアギト以外では最も善戦できているというのはサブライダーとしての絶妙な塩梅だろう。

 水のエルは単なるパワーだけでなく、広範囲攻撃を行ったり相手の数の優位を逆用したり悪辣さも上がっている。
 また今回秀逸なのは過去での苦戦と現代の苦戦を並行して見せることだろう。“方舟”の中で命を選別した天使はどこまで行っても人々の前に立ちはだかる。人には理解できない台詞を茫洋と口走るだけの創造主を代行するかのように、明確な言葉で人々を脅かす水のエルは、人間の意志で乗り越えなければならない相手だとよくわかる。



 ここまで見てきて改めて思うのが情報開示や人物感でのそれの共有の面白さだ。
 アギトは怪人個別攻略のロジックはクウガより仔細さが落ちており、その点に関しては当時から言われていた。しかし、一年間の縦糸となる登場人物感の情報量はすごく繊細に扱っている。
 例えばアギトが人間であると言った発想いつの間にか既知にしないで、その辺りはむしろじれったいくらい、しっかりと段階を踏んでいく。
 しかもそれらは何を知るかだけでなくいつ知るかも丁寧にタイミングを図られている。我々視聴者は設定や情報を主要3人のストーリーラインのどれかで知っていることが往々にある。そしてそれはいつの間にか人物間で既知になるのではなく明確な伝達を経るので、情報がいつ他の人物にも知れ渡るか、そこで知った人がどういう考えを起こすのかが楽しみになるのだ


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