フラギイのメモ

Twitterで書き散らしたことを体系化しようとした。

仮面ライダーアギト感想:第43話

公式配信が43話+TVSPだったので今回は43話の感想のみです。
 翔一
 記憶を取り戻しても自分は変わらないという翔一。一度目に記憶を取り戻したときは明らかに思考回路や執着が我らの知る翔一とは違ったのに、今回記憶を取り戻したときはさほど変わらない。以前記憶を取り戻したときは人々と同じことが気になったり執着したりしており、およそその状態で真実を知れば彼は他のあかつき号乗客同様に絶望してしまっていただろう。だが、二度に渡る水のエルとの戦いを経て彼はかつての精神状態を思い出しても怯えなくなった。翔一は全く異なる2つの考え方を自分の中で止揚させたのだろう。一度目の記憶復活はただ単にあかつき号の謎を引っ張るだけでなく、「翔一が記憶を取り戻して本当に大丈夫なのか?」という布石・牽引力となっていたのだ。
 ちなみに今回の彼は、「記憶が戻ったのなら美杉家を出てかつての生活に戻るべきなのでは」という殊勝な部分が垣間見えたが、これは沢木哲也としての部分なのではないかと思う。序盤の頃、美杉教授に外で何か活動しては(言外に『もっと動いては?』)と言われたときは「自分は外でやりたいことなんか大して無いが?」と何の意を組むことなくどこ吹く風だったのとは大違いである。


氷川
 北條が言い当てた「あかつき号の出来事はかつて人類で起こったことの縮図」。これは頭でっかちな理屈だけでなく、センスも磨かれている証左と言えるだろう。情報と情報の繋ぎ方が巧みになっている。司やG3Xコンペの件を経て、彼の持ち味が生かされてきたように思う。かつての彼は「あるべき自分」「自分が見たい自分」を実現するためにG3に執着していた。そしてそれを諦めたら自分でなくなるような、いわば「執着する自分に執着していた」面があるのではないだろうか。しかし、もっと自分が遺憾なく持ち味を生かせる案件にめぐりあい、昔のものに対する拘りが自然と薄れてきたのではないか?乗り越えたとも自然に執着を手放せたとも取れる、奥行きのある人物描写だと言えよう。

葦原
 戦いに深入りしないようにとの忠告はかつて真魚に告げた言葉と同じ内容だがG3ユニットには言い方がきつい。彼なりの強めの警告なのだろう。それにくわえて彼はアギト捕獲作戦のとばっちりだったり、アギトと戦ってるときに乱入されて撃たれたり前回の誤射といいG3に関わるとあまり良い目にあってないこともあるのではないだろうか…?
それでも多分なと最後につけるのは彼なりの配慮なのだろう。

 彼は多くの苦難に見舞われてきたが彼にとっての大きな不幸とはなによりあかつき号の真実が父の死因の確認でしかなかったことかもしれない。そこに生きる指針となるような希望はなく悲しみや絶望だけがあった。
 「父を弱い人間と攻めるのは簡単だが俺にはできない。(略)今の俺にはわかる。」そう話す彼だが、“今の”というか早い段階から他者の思想や主張に一線引いて尊重することはできていた(12話での湖での佐恵子の生き方に対してなど)。元々そういった素養はあるのだが、実の父という親しい人の死因を知っても同様に冷静にいられるあたり、成長したとも苦難によって老成してしまったとも取れるのではないだろうか。
 糧となったと思える部分としては、事件の真相よりもその過程での体験や翔一との出会いが、目的に向かう生き方しかできなかった彼に落ち着きを与えたと言ったところだろう。


あかつき号
 あかつき号乗客が過去に生きるのは当然だった。怪物になる自身の肉体、そしてその時はさらなる怪物に殺されることが確定した行く末。未来が無い以上過去を拠り所に生きるしかなかった。
 しかしそんな事態になっても、実行手段はどうあれ、雅人への贖罪意識の方が上回る木野はやはり強い人間なのだ。思えばいつか水のエルに見つかることがわかっていてもアギトとして戦う決断をしたその精神力は形は変われども常に失われていなかった。そんな彼が、黒い神に相対する葦原に逃げろと促した。


黒い神&沢木

「人は決して人を救うことはできない」、
「アギトは無意味」と断じる神。確かにアギトの力で人生が良くなった、救われたものはほとんどいない。多くのものはその力に自身の心が耐えられなかったり、または周囲から阻害された。だが同時に、だからこそアギトはそれだけで崇高な存在というわけでなく、人と同じレイヤーで生きていけると言えるのではないか。
 また直接救うことはできなくてもそれまでの助け舟は出せる。それを表しているのが近い例で言えば、木野の凶行を止めた葦原や真島の奮闘なのではないか?
 「人は人を救えない」という表現も、彼が神であるがゆえに他者に働きかけることが多かったから、身についた思考回路なのではないか?彼自身は自分がどう思っているのか、考えたことはあるのだろうか。

アギト&アンノウン
四人がかりでようやく倒せた水のエル。今までは武器攻撃でトドメを決めていたシャイニングフォームのライダーキックをここでお披露目するタメがにくい(あとエクシードギルスのヒールクロウも)。この先の走りとなる紋章を通り抜けて加速するキックの走りだが、それに加えて今まではアギトの紋章は地面で光っていたのに対し、シャイニングのキックは空中に浮かんでいる。これは偶然か意図的か、大地から日が昇る様を表しているようでもある。
 今回G3-Xはノックアウトされ、必殺技ラッシュには加われなかったが、これは意図的であろう。この時期は複数ライダーをどう戦隊と差別化するかにも注力していた。劇場版でも戦隊が「同じ目的に一丸となり向かうチーム」なのに対し本作は「それぞれの目的で集いバラバラに戦う」という差別化を行っていた。全員が同じ方を向いて連携する図は本作にとっては定番ではなく、ここぞでだけ垣間見えるものなのだろう。

そして水のエルであっても、戦闘においてはアギトたちの攻撃に対し防御やカウンターなどの対処を行っていたのに対し、こともなげにあしらっては全く寄せ付けない黒い神はさらにそれを行くのが彼の底知れなさを見せている。


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