フラギイのメモ

Twitterで書き散らしたことを体系化しようとした。

仮面ライダーアギト感想:第46,47話

力を身につけた者がそれを活かせるかどうか一つの節目となった46話と、戦いが(大方)終わったあとの彼らが個人として生きていけるのかを描いた47話

翔一
 氷川の言うとおり多くの人々を助けたと言っても、自分の記憶の中で最も助けなければならない人間を助けられなかった。しかも救えないどころか他人に力の暴走が向いてしまったとあれば、翔一くんはこの手の悩みは初めてなので弱音をストレートに吐露している。
 真魚の部屋の前で、自分の手を見つめてアギトの力を捨てたことを吐露する翔一。力なく広げた手を見つめる。その力ない拳を次に握るのはアギトとして戦うことを決めたときであり、絶妙なバランスの演出だ。

 倉本との会話から垣間見えたが、記憶を失う前の翔一は常識人かと思いきやあんこのパスタを作ったりする部分もあったらしい(あんかけではない)…記憶喪失前後で大きく価値観や考え方は異なるがセンスにおいては通じるものがある。

真魚
 自分の中に、父を殺め己の人生を捻じ曲げたアギトの力がある。「他者には思いもよらない一面がある」ことからさらに「自分の中に向き合いたくない面がある」と言えるだろう。
 翔一や彼の姉もそんな面に直面してきた。それを知ったことで、自分も向き合う勇気を持てたのではないか。
 以前の感想で、超能力者たる真魚はアギトである翔一に同族を見つけた安心からが受け入れられたのではないかと私は書いた。その点から行くと、同族だと思っていた存在に“思いもよらない”裏切られ方をされたから、拒絶も強く出たのではないだろうか。落差が大きければそれだけショックも大きくなる。事実、翔一よりは距離のある葦原に対してはアギト(の近縁種)であったとしても大きな拒絶は出ていない(もちろんアンノウンからの逃避もあったのでそれどころではない可能性も十分にあるが)。
 だが、これまでの彼らを見てきたこと、かつ自分の父親の知られざる一面のことそれらを踏まえて再び目の前の事実を信じる気になったのだ。それを示すかのように47話では翔一の自立を心から応援している。
 この数回はあかつき号の事実を明かすため、翔一-葦原-木野・真島の結びつきがクローズアップされたが一年通してメイン3ライダーを繋いできたのは彼女なのだ。まさに天からの贈り物だろう。

 私は神話や伝承の類には詳しくないが、それでも水や海に関する物が多いと感じる。桃太郎や恵比寿などは有名だろう。それは外界から流れてくるものというのは発見や豊穣、または不安や恐怖など様々な要素を持ち合わせているからなのではないだろうか。
 この作品においても、メイン3ライダーと真魚にはそれに関する要素が付加されている。上記の通りの真魚に加え、翔一は海から漂着する正体不明の英雄だ。葦原は自己を持ったまま、水の中で力を与えられた。氷川は普通の人間の身でありながら、自ら水(あかつき号)に飛び込んだ。


 


氷川さん
 氷川と北條の二人だけの秘密となった視力低下。少し前まで氷川を息子とした、教育方針の違いによる親の対立のような図式の小沢と北條の争いが見られものだ。だが、今回は小沢はいない。ここに来て氷川もまた小沢から自立しつつあるのだ。
 少し前まではあれほどまでに神聖視していたアギトが戦えなくなったことにも、アギト=翔一を立ち直らせようとするのではなく自分が動いて彼を待つ選択をしている。中盤までの彼からは考えられない言動だ。
 もちろんそれを上に密告せず、氷川との秘密に留める北條もまた粋だ。意地っ張りだったり、結局は彼も翔一に翻弄されたり似た者同士なのだ。



葦原
 例え変身できなくなっても「津上を放っておけない。ようやく出来た絆だ」関わる人間関わる人間と離別したり猜疑心で攻撃されてきた彼だからこそ重い。
 ギルスでなくなってもそれを喜ばないのは、彼にとってはそれも含めた上で己の人生だと飲み込んでいるからなのだろう。アギトの力を失った面子がそれぞれを繋ぐ軸を失った様相を見せた中で、彼だけはしぶとく繋がりに食らいついたのは興味深い。彼もまた翔一が戻ってくることを信じているのだ。アギトの会をあれだけ面倒くさがってた彼がだ(笑)。人の生き方はそれぞれ尊重するタイプの彼だが、それでも翔一のようなタイプは他者に希望を与える力があると知っているのでそれを消したくないのだろう。(以前木野を救えるのは翔一だけだろうと言ってたし)
 真魚に対しても、彼女がアギトになる可能性があることをごまかしたりせずにはっきりと伝えた上で、“なってしまった”雪菜の恐怖を慮って話すのがこれまでの彼の集大成とも言える。


 47話では、葦原はあまり穏やかな日常がなかったのでバイク屋でコーヒーを味わう姿や(それでいて、おやっさんと同じ古いタイプと言われたり、客相手に「お前はやけっぱちに生きてるからバイクも傷つく。バイクが可愛そうだ」と言ったりどこか古風なやり取りをもしている。)、翔一と二人で部屋で駄弁る姿も珍しく年相応の姿を見ることができる。葦原のベッドに座り込んでリラックスする翔一は完全に親友のそれだ。
 翔一のバイトを見守りに来た件といい、戦い関連の助け合いを取り除くと葦原にとってのプライベートでの翔一とは、突拍子もない行動に出るどこか危なっかしい友人枠なのではないだろうか…。


あかつき号
 翔一が言及した木野の暴走。一言で言ってしまえば一括だが、内情は力を持った者ごとに異なる。翔一アギトの暴走の件は狭義の意味での力の暴走と言えるだろう。だが、木野は少し異なる。別件で贖罪意識を抱いて彼の目的と力の発現が合致し、彼の意志で凶行に走ったのだ。だから最初は翔一の説得にも応じなかったのだろう。
 しかし、力を凶行に使うか今の翔一のようにただ否定するか形は違えど「力に振り回されている」のは同じだ。だから、真島の後押しもあって、命をかけて翔一を助ける気になったのだろう。  
 最後に命を落とす結果にはなったが、それでも彼は自分の言葉だった「自分の生き方を決めるのは自分。狭くしてしまうのも自分」というのを取り戻したのだろう。 
 
 今回の節目を以て新たな希望を抱いた真島も感慨深い。今までこの作品では、力を自然体で使いこなせる翔一、対して力に振り回され命を落とすあかつき号、その中間でさまよう葦原という立ち位置が示されていた。そこへ行くと真島は年相応に力に憧れながらもそれを持つことそのものを諦められる(沢木という外的要因があってのものとはいえ)という新しいタイプの結末を示したのだ。

 46話を以てあかつき号で起きたこと、それに端を発する“力”をそれぞれの者がどう使うかが締めくくられた。そこでは、アギトは人を助けることができると示されたのだ。少なくとも戦いのある世では…。
 ではアギトとして自分との折り合いもつき戦いも探る謎もなくなった異能たちはどう生きていくのか、それを描いたのが47話以降なのだろう。




 この手のポジションにしては彼は「人間“ごとき”」という表現を使わない。彼の思考回路なりに人間を愛していることがわかる。
 47話での会話にしても、沢木に真っ向から「従うと承諾した覚えはない」と言われている。そもそも彼の本心を見通すことだってできたはずだ。もちろん以前黒い神が言った「人はみな同じだ」という発言通り見る気がないのかもしれないし、人間を全部滅ぼそうとし始めたので個々人に関心がさらになくなっているのかもしれないが…。それを加味しても悪の首領ポジションがこれだけ真っ向から刃向かわれてもどうにもしないのは、スケールの大きさと思考回路の我々との断絶を感じさせる。
 前述の通り、人間への落胆を感じつつもそれでも、どこか「見知らぬところで勝手に死んでくれれば…」とでも言わんばかりの殺害方法が彼なりの弱さと未だ残る愛情を感じさせる。

アギト&アンノウン
 今回登場したヘッジホッグロード。弱いとは断言できないがエルのような特別な怪人でもないだろう。そんな怪人にライダーたちが何も対処できなくなる緊迫感が手に汗握る。そして戦闘自体は短い故か、代わりにアンノウンの殺害描写も凝っている。   
 また、さりげないことだがこれまたマスクの口が動いたり、精巧な針が多数生えた密度感あるスーツ造形をしていることで改めてアンノウンの驚異とライダー復活劇を印象付けるクオリティに一役買っている。

 そして47話で登場した風のエルの強さ。これまでギルスは打たれ弱さを突かれて苦戦することはあっても腕力で押し負けることはなかった(35話のフィッシュロード戦など)。水のエルでも筋力そのものはエクシードギルスと拮抗していた(触手の綱引き)ので、改めて逆にギルスの腕をねじりあげたりパンチを受け止める風のエルのパワーがわかる。
 話は変わるが、アバンで見せているとはいえ、47話の中ではアギトの変身、戦闘が一切ないのはさり気なくすごいことではないだろうか。確証はないが様々なインタビューや資料から、毎週主役ライダーを出すことはかなり強く求められていることが伺える。そのため主役ライダーが悩む展開では沈んだ気持ちとそれはそれとして戦うギャップを埋めるのが一つ腕の見せどころでもある。ベルトのギミックをうまく活用した555では、巧の離脱の代わりに木場ファイズを立てることで主役が腰を据えて(?)悩む展開を作ることができている。


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