フラギイのメモ

Twitterで書き散らしたことを体系化しようとした。

仮面ライダーアギト感想:第44,45話

不特定多数のアギトという問題に翔一も向き合わなければならなくなってくる回


翔一
あるものは風谷事件の犯人個人を特定し、ある者は犯人がアギトであることを特定している。皆事件の一部だけを知り全体を知らない。それ故に自分こそが原因なのではと悩む。
 美杉教授の自責を止めるとき「先生は悪くない。悪いのは…」と言いよどむ。誰が悪いのか、少なくともこの二人からの視点で見れば風谷伸幸であることは間違いない。だがそれを口にしたところで誰への慰めにもならないし、故人を責めても気分が悪くなるだけだろう。一見、なりふり構わなくなっているようでその辺りの気を使うだけの優しさを保っているのが彼らしい。
 今回、翔一の心を押しつぶそうとしているのはエルや神の件にある「自身に降りかかる恐怖」ではなく、「自分(や関係者)が親しい人の人生を破壊した可能性」という恐怖だろう。全く質が違う。そして今までなんとなく同族が増えて嬉しい程度にしか考えていなかった、“自分以外のアギトの影響”に彼も向き合わざるを得なくなってきた。





真魚 風谷伸之のビデオから、人がアギトになる瞬間を収めた映像を透視する。それにより、客観的にはアギトの脅威論を中立的に考えられたとしても、肉親が殺された可能性とあっては主観的にに見てしまうのはやむを得ない。
 それでも序盤から成長した彼女は翔一の翔一である面には向き合おうとしている。だが翔一と向き合おうとするたびに彼に付随するアギトという一面、そこから想起される他のアギトによる父の殺害といった想像に苛まれてしまう。
 これは本作で語られてきた「人の多面性」「人を構成する様々な要素」を反映しているのではないか。そしてこの構図は奇しくも人間を愛しながら、人間の中のある特定の面から目を背けようとしている黒い神と同じ構図だ。

教授 超能力や風谷伸幸のことを知っていた。そもそも序盤に、超能力に詳しいという評判と紹介で氷川から捜査協力を頼まれたシーンがある。しかしそこでは、ただただ一方的に否定するばかりで研究者たる好奇心や検証の姿勢が見えなかった。それは触れたくない、一部でも肯定することをしたくないという気持ちの現れだったのだろう。


氷川 
 視力に異常。前回の戦いで頭部を強く打ったせいだろうか?
 今回、アギトを危険視する北條に反発しているのは視野の狭さというよりも翔一を庇いたい気持ちが故だろう。今の彼はアギトが複数発生することは知っているし、以前木野にも「少なくともあなたは僕の知るアギトではない」と啖呵を切った。であるならばここで反発しているのはかつてのアギトへの盲信ではなく、友人をかばいたいが故の言葉なのだ。
 その証拠にそのあとの会話で別のアギトの可能性を示唆されたときは冷静に検証しようとしている。

北條 翔一が真魚の超能力を知らないことに驚き、漏らしてしまう。確かに普通はアギトと超能力者に親しい関係にあれば、お互いの素性を知っていると考えるだろう。今回ばかりは北條を責められない。
 彼が今回言及した、アギトが人間の敵になる可能性。確かに現在確認されているアギトやギルスが人の味方なのは彼らの善意に過ぎない。変身能力を得たからと言って自動的に聖人になるわけではないのだ。実際、今までアギト予備軍ともいえるあかつき号乗客の中には人間に力を使った者も居た。それを彼が覚えているかは定かではないが、少なくとも既に実例は存在しているのだ。
 それを真魚の前で話してしまうのはやはり無神経な行為だが、それだけ今の彼も心穏やかではないということだ。







葦原
 ギルスではなくなったのに火の中に飛び込んだり、自分がピンチなのにも関わらずことあるごとに翔一に危険を伝えようとしたり助けに行こうとする。
 水のエル戦(一回目)と今回の真魚との諍いを見るに、初期の頃から天才肌としてやってこれた翔一は壁に突き当たるとそれの解決で頭がいっぱいになってしまう節がある。それに対して、凡人として苦労が多かった氷川と葦原はそういった挫折や恐怖に苛まれても、それはそれとして他のタスクを並行する慣れが生まれてるように見える。


あかつき号
木野 翔一もだが黒い神をかつてあかつき号でであった白い神と思っている。敵味方の関係で混乱する様子もないところを見ると本当に「理解できないなにか」であるようだ。
 木野の暴走について、本作に登場するライダーのうち、あんな見た目のギルスやアナザーアギトに限って力による暴走はしていないのだ。ギルスの戦闘スタイルはああいうノリなだけだし、アナザーアギトの暴走は「木野の意思」としての暴走だ。だから翔一の言う「木野はアギトの力によって暴走したのではないか?アギトの力がおかしくしたのではないか?」という問いは繊細な意図の問題を含んでおり、正解とも間違いとも言えるのだ。
 
 そんな問いを受け、思案に耽る木野が発した「救わなければならない人間を救えなった自分に何ができる。」という台詞は奇しくも沢木と同じ状況だ。沢木も少し前の木野もそれを否定するようにあがいていたが今の木野は気弱になっているが、それは同時に頑なさがほぐれて冷静になれているとも言える。
彼の心を少しだけ後押ししているのは、あかつき号乗客の貴重な生存例、真島。真島のひたむきな言葉が少しずつ木野に浸透しているように、人の心を背負って救うことはできなくても前向きに生きることの手助けはできるのだ。

神&沢木
 途中までは繕えても翔一に雪菜のことを言われたら取り乱す沢木。人間相手にこうまで取り乱すとは、真相バレバレである。
 黒い神は沢木を「アギトを殺した者」として部下に選んだ。確かに彼はアギトの力を恨んでも仕方がない状況だがそうではない。神にも彼の心を見ようと思えば見通せるはずだ。にもかかわらず状況しか見ていないのは神にとって「人はすべて同じ」であり、使徒は本来誰でも良いがしいていうなら沢木を選んだ程度の話でしかないのかも知れない。

アギト&アンノウン
 今回は強さの見せ方が誰の格も落とさず、それでいてライダーの力の細かな差異を表している殺陣が秀逸だ。今回は一般ロードと神という戦力の落差が大きな組み合わせが出てくる。神の絶大な力にライダーたちが破れていってしまうのだが、その中でも奮闘を見せるのを忘れていない。
 ギルスは一対一なら通常形態で完全に優位だし、二人がかり相手でもエクシードギルスで優勢に対処できている。そしてそのあとのアギトはグランドフォームのまま一体を仕留めており「限りなく進化する力」としてさらに強くなっているのが見て取れる。真打ちの神に力を取られはしてしまったが、アンノウンに対してはギルスもアギトも両者の格を落とさず、それでいて後者の力の上昇を描けていると言えるだろう。
 また、G3-Xも視力の不調というハンデを追わせることで通常アンノウン一体に足止めを食らうことに説得力を持たせている。

 また、今回はアンノウンの出現方法が明確に映像化された。もちろんすべてのアンノウンがあのように出てくるかは断定できないが、まあ大多数のには当てはまると考えるのが自然だろう。
 ここで、アンノウンのターゲットが東京から離れるだけで安全なのかという点について考えて見よう。劇中の描写を見るとアンノウン毎に感知方法が違う(蜂の触角、蛇の辮髪等)ので対象の見つけ方にばらつきが出ることが考えられる。それに加えて今回描かれた出現方法を加味すると、アンノウンを体内から出勤させる神が東京に居るのでスタート地点はそこになる。そして地方に出る前にライダーが倒すことで被害が収められているのではないか。 
 まあ、そもそもの話をすると本編で東京を離れた者は実家の家族が心配なので帰ったりしているので、彼らもそれが完璧とは思っていない。警察としてもやらないよりはやっておく当面の対処くらいの考えでいる可能性もある。

 しかしなんといっても、今回はアギトが力を奪われる場面がどこか美しいのが印象に残る。多くの戦士や従者が見守る中、最も偉大な戦士が神に力を奪われるこの場面。何やら儀式的でもあり、何やら妖艶な場面でもあるように見受けられる。宗教画にありそうではないか?