フラギイのメモ

Twitterで書き散らしたことを体系化しようとした。

仮面ライダー555感想:4話

全体

 この回で見えてくるのは怪人への感情移入であろう。それが苛烈なまでに描かれている。

・長田結花の悲惨な境遇

・スマートレディへの辟易と仲間内での不満の表出が見られる追撃組オルフェノク

・ライダーサイドの人物の全くの好感の持てなさ。

この3つによって、悪の怪物たるオルフェノクへ共感・感情移入ができるように誘導されている。

 長田結花はここまでの経緯を見ると、彼女にはここまで虐げられる謂れなど見えてこない。自分からは誰かを攻撃したりはしない。それが善意であれ他者への卑屈さであれ、いずれにせよ彼女は誰も傷つけていない無辜の民といえるだろう。だから彼女がオルフェノクの力でいじめっ子達を排除することに感情移入してしまう。たとえそれが、同時に「怪人による殺戮」だという側面を持っていたとしてもだ。それはグロンギの悪辣な遊戯ともアンノウンの不可解な殺人ともミラーモンスターの捕食とも異なり、我々は感情移入して”しまう”のだ。もしかしたらオルフェノクにはアンノウンのような(人間にとって悪となり得る)使命はなく、力の使う判断は個々人にゆだねられそれが人間的な感情によるものなのかもしれない。だが、目的や経緯は違えど、オルフェノクのやっていることも怪人による悪事ではないのか。アンノウンの殺人もオルフェノクの殺人も結果は同じではないか。だが、後者に我々は人間味を感じてしまう。

 また、長田はリアルの人間関係においてはつながりというものがまるでない。そんな彼女においてつながりを作ったのが、オルフェノク同士という共通項なのだ。怪人に覚醒することが誰かの心を救った。ならばその怪人の存在を誰が責められようかという気持ちが生じる。

 長田の場面だけでなく、ベルト捜索組のオルフェノク達もまた違った形で人間味を感じさせてくれる。スマートレディの話し方に対する辟易と仲間内でのささいな不満の蓄積。これらはまさに人間の組織人と同じだ。一点だけ違うのは、そういった不満をきっかけに容易く仲間を手にかけてしまうところだけ。この遠くて近い精神構造が、我々と同じ苦労や不満を想像させてくれる。もちろんそれまでの平成ライダーにも怪人のそういった描写はあった。グロンギ同士のいさかいやアンノウンの上下関係といったものだ。しかしそれらはどこか我々からは遠い断絶や超然としたものを感じさせる演出であった。比較して、オルフェノクの組織としての苦悩はどこか卑近さを感じさせるのだ。伝達役の話し方にため息をつき、仕事の合間に勝手なことを繰り返す部下、そして部下は部下でリーダーの物腰に怒りを募らせる…。そう感じさせてくれる演出がきっちり明確化されているのは言うまでもない。 

ここから見えてくるのはこの作品では「殺される側も人間」ということを1年間徹底していくということだ。勿論、遡れば昭和の頃からライダー怪人というのは元人間なのだ。これを描くのはなんらおかしくはない、当然のことかもしれない。しかし、時代が下るにつれ、または平成ライダーが生々しい描写を増やしていくにつれ、その解像度で殺される側の人間性を描き続けていくのは容易ではなくなっていた。白倉Pは当時いくつかのインタビューでライダー怪人というものを人間性を伴って描き、それをライダーに倒させるのは難しくなっていくかもしれないといった旨の言葉を残していた。今思えば当時でも様々なハードルや声があったのだろう。それでもこの作品では貫くのだという意気込みを感じるのがこの第4話なのだ。

 

 元はといえば最初に嘘をついたことを棚に上げる真理、行動そのものは善行なのかもしれないが極端な啓太郎、そして口を開けば憎まれ口の巧。もはや友好度は最低値といっても過言ではない3人だが、まあここまでひどければ後は上がる一方だろう。そんな3人だが、最後には啓太郎の(加減を知らない分別はどうあれ)勇気を巧が認め、名前を名乗るところに僅かな希望を見出せる。本当に僅かだが。

 ヒーローに限らず物語の主要な人物とは身体的な素質に限らず、勇気や優しさが常人より良くも悪くも並外れており、だからこそ何百何千といる人間の中から物語の主人公足り得る行動がとれるのだと私は考えている。したがって、啓太郎の異常ともいえる善意やお人よしがどこかで生きるのだと思えるのだ。

 

555&オルフェノク

 なんと怪人がベルトで変身してしまった。勿論、これまでのヒーローやロボットアニメにもゲストやコメディリリーフが変身や操縦をしようとする話はあった。それらを通して主役ヒーローがヒーロー足り得る部分を描いてきた。今回で言えば啓太郎による変身失敗がそれに当たるのだろう。だが、本作品が衝撃的なのはそれに加えて怪人が変身できてしまったことなのだ。

 誰でも変身できるわけではない。他方、変身しただけではヒーロー足りえない。その上、危険な悪人までもが変身できてしまうのでその力の在りかをも守らなければならない。ベルトが人を守る、だけでなく人がベルトを守らねばならない。その力が欲しければ。まさにベルト物語だ。

 それはそれとしてベルトで変身できる条件は何なのだろう。今回変身できたのはマンティスオルフェノクだが…。まさか主人公・巧が怪物なはずはないので、変身条件はもっと別のところにあるに違いない。

 

 もう一つの目玉として、オートバジンの存在だろう。彼は明らかに真理の声で起動していた。真理を守る、もしくは真理に利する者を支援するのだろうか。いずれにせよ、真理もただベルトの運び屋をやらされているわけではなく、彼女にも何か因縁があることを想起させてくれる良い演出だ。

 仮面ライダーといえばタイトル通りどんなバイクアクションが出るのか(少なくともこのころくらいまでは)注目されているものだが、この年度はバイク(を使った)アクションではなく、バイク(自身が)アクションが飛び出したのだから面白いものである。