フラギイのメモ

Twitterで書き散らしたことを体系化しようとした。

仮面ライダー555感想:11,12話

 

 前回までにレギュラーキャラとそれを取り巻く状況が説明され、今回からは登場人物たちに刺激を与える事件が起きていく形となった。しかし、流星塾はあかつき号と違って主人公がかかわらない時点で本質的には別物といっていいだろう。あかつき号はそれが物語の背骨となり、そこから発せられる出来事や事実が登場人物を刺激した。いわば謎が主だ。だが流星塾は従でありまず人物が主だ。

 それを示すようにこの回では真理の人となりが流星塾の件を通して掘り下げられていく。今回は彼女の快活さ豪胆さが掘り下げられていく。海堂をおとなしく従わせたり、二股談義に花を咲かせる巧と啓太郎を一喝するなどコメディ要素も目を惹くがシリアスなところでも見せられている。カイザのベルトが流星塾生複数係で管理しているのに対し、ファイズのベルトは真理一人に託されている。それだけ彼女が父から信頼されていたということだろう。

 

 巧についてだが、これまでの描写を見るに彼が人の話を促すもしくは遮る判断は結構的確なのが見えてきた。「もうその話は良い」など言い方こそ乱暴なものの、彼が話を遮るときは本人にとってもつらいことであり、促すときは相手も吐き出した方が楽な時なのだ。これは彼の感受性の高さゆえなのだろう。

 

 一市民に過ぎない木場だが大企業を隠れ蓑にする組織に強制されても、頑として人を襲わないあたりやはり正義感はある。だがそれと激情が合流しやすい(オウルオルフェノク回)、もしくは義侠心と激情がお互いを刺激し合ってヒートアップしていく面があるのだろう。これは他者に対しては如何様にも作用しうる面白い性質だ。

 

さて今回複数の組織や情報が新たに現れた。

 ラッキークローバーはこうしてみると結構ベタな幹部チームだ。それまでの平成ライダーの怪人が理解不能な言語だったりそもそも人間性を持たずキャラとしての親しみや歩み寄りを意図的に切り捨てていたのに対し、ラキクロはアジトで「フフフ俺たちの出番とはな…」といった会話をしているのは彼らに登場人物としての親しみを持たせている。それがかえって新鮮だ。だが村上直属ではなく、互助会のツテのような関係なのは現代的なところ。

 ベルトはオルフェノクの王のためであると話す村上。やはり人間を守るためのものではない。だがだからといって人間を倒すのではなく(無論それも可能だろうが)オルフェノクを倒すために使うということは彼のために市井のオルフェノクを平伏させるためのものであり、スマートブレインはやはり急進派なのだと再認識させる。

 そして流星塾生の共通項、「九死に一生を得た子供」。これはそのままの意味ではなく、本来は死んでいたがオルフェノクとして無自覚に復活していた者、またはその可能性のある者を集めていたということだろう。ベルトの製作、オルフェノクの子供の養育、早くもつながってきている。

 

上記のような謎だけでなく、巧や木場たちの群像劇も魅力なのだが、これを成立させているのが「誰が何をどこまで知っており、逆に知らないのか」を把握し使いこなしている手腕だろう。

 

ファイズ&オルフェノク

 クロコダイルオルフェノクに明確にパワー負けするファイズ。これまでホースオルフェノクに苦戦することはあっても、ファイズの攻撃も通る互角の表現であったし、双方レギュラーキャラとわかっているためどこかそれはそうなるだろうなという納得感すらあった。だがしかし、今回は幹部として登場したとはいえ、主たる群像劇におけるバックボーンを持たない存在にうちのめされたのは絶望感を感じさせる。

 そこにさっそうと助けに現れたのがカイザだ。せわしない仕種が巧より素人であることを感じさせる。それでも単純なパワーでごり押せるところを見せることでベルトの性能差を演出している。また、12話でカイザブレイガンを付ける暇がない時は丸腰でわにに立ち向かうのも不慣れさを感じさせて面白い。

 そんなファイズだが、12話目では歴戦の戦士としての一日の長を見せてくれる。単純なパワーで負けていたので2戦目はバイクに乗り突進力を上乗せしたのだ。それでも脱出されてしまったものの、巧の機転をよく表している。巧は単純な習得技能や知識という点での強さではなく、実戦でのひらめきや柔軟性という点で強みを有していることがよくわかる。