フラギイのメモ

Twitterで書き散らしたことを体系化しようとした。

仮面ライダー555感想:39,40話


巧が真理たちの元へ帰ってきた回

 巧の帰還に尽力した真理。だが彼女のオルフェノクに対する忌避感の具体的な解決策は何も明示されていない。彼女のオルフェノクに対する恐怖は依然そのままだろう。しかし彼女は巧個人を助けたいから怖いという感情ごと現状を飲み込んだのだ。
 それはかつて巧が殺していいオルフェノクの選別基準を見つけることができず、あらゆる感情や矛盾、傲慢さを“戦う罪”として背負ったのと同じだ。
 彼女はオルフェノクが怖くなくなったから巧を助けるのではない。巧を助けたいからそのために動くのだ。だから、「こうすればオルフェノクは怖くない」などと解決策を提示しないから粋なのだ。

 巧の帰還を促したもう一人、澤田。彼のの苦悩。それは彼もオルフェノクになりたくなかったというものだ。それだけなら木場などこれまで出たオルフェノクと同じだが彼らは人間であろうとするのに対し、澤田の場合は「なりたくはなかったが、なってしまった以上はその現状を肯定しなければこれからを生きてられない」という思いからオルフェノクを賛美していたのだ。だから結局人の心を捨てるのは本意ではないため、捨てられなかった。
 今回明らかになった流星塾同窓会の経緯からしても彼としては「皆で同じ目にあったのに、ほか全員は人間で居られる範疇で済んで俺だけこんなことになってるんだ」というやり場のない怒りもあったのであろう。流星塾生に対しての、失敗作が身を寄せ合って生きてるのは惨めで腹立たしいという発言はその裏返しだ。
 勿論だからといって彼の凶行は草加の言うとおり看過できるものではないが、スマブレによって人生を歪められたという点では巧の言うとおり彼もまた被害者なのだ。澤田の人生に対し、正しさの面から論じたのが草加ならば優しさの面から触れたのが巧なのだ。自分でさえも整理がつけられない感情やそれのままに生きたことを、真正面から見てくれた。だから澤田は流星塾生でもない巧に心を開いたのだ。ウルフオルフェノク判明からは苦悩する巧の姿が多いがこうして彼のやさしさもまた描かれているのだ。


 その頑なさが周囲との不協和音を生み出し始めた草加。彼は流星塾同窓会襲撃の犯人が巧だという疑惑は半日かけて飲み込んだが、真犯人は北崎だという情報は、それが敵対している澤田からのものであってもすぐに信じた。やはり巧に歪な形の信頼を寄せているのだ。
 また、彼が澤田にゴルドスマッシュを放つとき拘束マーカーの撃ち方がいつもの合理的なものではなく荒々しいものだった。やはり本心では澤田の命を奪うことに多大なストレスを受けていたのだろう。澤田の話を聞いたとて、今更彼を人間だと認めるわけにはいかない恐怖もあったのではないか。

 今回、新たに判明した流星塾同窓会襲撃の犯人は北崎。しかしそれならば村上は彼から聞けば事件の真相を知れたわけで、わざわざ草加接触する必要はないはずだ。しかしあの北崎のことだ。殺しの仕事だけ請け負って事件の全容は知らないことが容易に想像できる。そういった意味ではそれを指示したさらなる真犯人がいるということであろう。
 そしてその件の村上社長はいまいち人事が冴えない。巧も澤田も彼の目論見通りには動かなかった。やはり村上はあそこまで成り上がるにあたって己の手腕一つで上り詰めたのであり、他人を使ったり値踏みするのはさほど得意ではなかったりする…のだろうか。対して巧の真意や澤田の危うさを言い当ててきた影山。強さの面ではライダーに遅れを取り始めているが、頭脳面で冴えているところが見えてきている。


 デルタギアの装着者、三原は巧について何も知らないからこそ聞く。レギュラーで固まってきた今の時期にそれを言葉にしてくれるのは付き合いの浅い彼ならでは。
 また、やはり受動的な理由で変身してきただけなので中々覚悟が決まらないのが良い

身寄りのない人間をさらって改造する。スマートブレインのやっていることは明らかなほどにショッカー。流星塾生はおやっさんのいない、手探りで失敗していく仮面ライダーの死屍累々なのだ。思えば巧が本編前に働いていたという喫茶店のマスターや木場の師であるスクィッドオルフェノクがすぐに退場していたことから作品内で父性の排除が一貫されている。
 しかも孤児を使って何かしようというのは村上の時代に始まったことではなく、花形──真理達が優しい父さんだったと語る人──の時代から行われているのだ。

 


ファイズ&オルフェノク
 ウルフオルフェノクをノックダウンに追い込んだローズオルフェノクファイズ&カイザのふたりと連戦。だが、疲れている様子は見えずライダー二人がかりの攻撃でも重い打撃は全て捌き、的確にカウンターを殴り返すのが試合巧者ぶりを感じさせる。ドラゴンのようなパワーはないがそれでも必要な腕力は備えており、常に1対1になるよう片方を大きく打って下がらせておく見事な格闘技を見せてくれる。

 そして今回登場したブラスターフォーム。一気に押し切るアクセルとは違い、オルフェノクの攻撃をしっかり受け止めた上で引かずに打ち返すパワーファイトが特徴的だ。これまで誰も太刀打ちできなかったドラゴンに初めて土をつけたのも印象強い。
 そんなブラスターフォームだが強化アイテムを入手した経緯は淡白だ。使用する経緯も真理の激励を受けて入るが、今一歩足りず状況に迫られてという感が強い(巧を完全に帰還させるためのもう一つのピースが前述の通り澤田の慟哭だ)。ドラゴンを倒す手段に過ぎず、彼にとって力は道具に過ぎないというがアクセルの頃から徹底している。この作品は力が持つ誘惑を様々な形で描写しているが、それに溺れないのが巧であり彼がこの世界の英雄足り得るところだ。彼は記憶が曖昧で凶行の疑惑があるオルフェノクの力への恐怖こそあるものの、溺れる方向には行かない。 
 それが別の形で現れているのがパワーアップに対する淡白さだ。どんな物事も表裏一体。都合よく良い作用だけ及ぼす、悪い作用だけ及ぼすといったのとはあまりない。パワーアップという力に何か思いを乗せたり、それの体得による心情や意識の変化というのは、同時にそれに溺れたりする危険性も孕んでいるのだ。何せその力に関心があるのだから。その負の面を描いているのが、力に溺れたオルフェノク達だ。そういう点では巧は強化から良い影響も悪い影響も受けない。徹底して中立だ。
 むしろカイザポインターに「父の思い」という強化アイテムらしい文脈が乗っており、そしてそのほうが不穏に見えるのだから、中々に人を食った作品だ。前述の通り、父性が排除されるこの作品で父の思いが乗ったアイテムはそりゃ不穏なものだろう。

 今回のゲスト、オクラオルフェノク。幼児誌のコンテストの入賞した怪人なのは有名なところだが、オクラをモチーフに使う発想がすごい。中々普通には出てこないモチーフだが、しかしツクシやフジツボの怪人が出るこの作品世界ならいてもおかしくない不思議なオルフェノクだ。
 オクラをバイキングの兜に見立て、種子をリベットのように昇華したデザインは見事。ツクシやオクラのような風変わりなモチーフでもこれだけかっこよく仕上がるのだから、自分がオルフェノクになったらどんな姿になるのだろうとワクワクしてしまう。

仮面ライダー555感想:37,38話

 

巧への処遇を巡って各人物の対立や協力関係が変化していく

 

 木場を頼る巧。やはり、彼にとって木場はオルフェノクであることを受けいれた上で同族と戦える豪傑なのだ。真理や啓太郎は勿論仲間だが、同じオルフェノクという存在で悩みを打ち明けられるのは彼には木場しかいない。

 また、自分を何度か気にかけてくれた影山に対しては敵であっても「もう構わないでくれよ」と語尾が微妙に柔らかくなってしまう人の良さが滲み出ている。

 

 そんな風に信頼されている木場は巧だけでなく真理へも気遣う。オルフェノクであることをオープンにして戦ってきたので、こういったときには精神的な余裕や落ち着きを保てるのだ。それでいてお化け屋敷からは一人で先に出てきてしまうお茶目さが可笑しい。その後に真理の巧への心配が抜けないことを微笑ましく思う動じなさも頼もしい。

 

 

 対照的に現状に翻弄されがちな草加。表面的には平静を保っているがいよいよ啓太郎に対して素の口調を隠せなくなっている。菊池邸でオルフェノクに関する主張を披露するとき、巧への批判というよりその場にいる木場への嫌味のためにやっているように見える。

 巧関連で真理がそちらばかりに慌ただしく動くのを見て、それに伴って彼の心もどんどん落ち着きを失いとうとう蓋をしていた記憶が心の奥底から這い出てきた。草加の手を拭う癖は過去の真理の血。やはり同窓会には来ていたのだ。では、何故彼だけそれを否定するのか…?

 また、巧が流星塾同窓会事件の犯人だと半日かけてほどかけて飲み込んだ様子が窓から差し込む夕日によって表現されているのが上手い。口では巧を憎みながらも、別のある面では信頼しているのがここでも示されている。

 

 巧への信頼を明確に口にする真理。思えば彼女は明確に草加に騙されていたことなどはないのに、彼の口車に乗らないあたり直感がするどい。

 草加に触れられるのを嫌がるのは、前回オルフェノク(巧)に触れられるのを恐れたのとなんら変わらない。好き嫌いに率直だという意味で、誰よりも公平な拒絶感だ。

 

 

 巧の帰還を望むもうひとりの人間・啓太郎は草加に「たっくんはただのオルフェノクじゃないんだ」と噛みつく。オルフェノクの発生経緯を知らないので彼の希望的観測だが、知りうる知識の中で巧をなんとか擁護しようとする優しさか心強い。

 

 画面演出の話だが、今回の冒頭で啓太郎と真理がウルフオルフェノクに呼びかける声や嗚咽がリアルだ。この時期の平成ライダーはこういった部分でリアリティの土台を作っている。

 

 そして第三者に近い立場で巧を見る三原と里奈。三原はその危機意識から巧をまだ怪しんでいるが、デルタギア騒動の前にあっていた里奈は信頼している。この差が絶妙だ。

 

 

 そういったシビアな画面の中で、避けた方に泥団子がことごとく当たる海堂のコメディシーンが清涼剤となる。照夫がレギュラーキャラとなったことで、やはり孤児がなんらかの鍵となっていることが確定した。そういった意味では前社長の花形も村上と同じく孤児を集めていたきな臭さがより一層強くなっている。彼は本当に優しい父だったのか…?

 

 

そしてスマートブレインサイド

 ダーツの場面から見える北崎の一瞬の寂しげな表情。それでいて巧へはこれといった敵愾心も見せず(気まぐれの一環だろうが)気に掛ける面もあったりする。彼の望まぬ能力による虚無感への言及はすべてが嘘ではないことがわかる。彼が続けられるのは壊すことだけなのだ。

 

 

 「人を捨てた側」から巧を救おうとする影山。村上の人事の采配の不備を見透かすところから、やはり冷徹な精神は本物だ。彼女の見立て通り、ここ数話の村上の個人への采配はあまり冴えない。

 

 

ファイズ&オルフェノク

 

 闇夜に光るライダー二人がそれぞれの場面で怪人と戦う。それだけ見ればどちらもかっこいいのに片方は辛い場面に見えるのは、我々が巧の人格を知っているからだ。どちらも命なのに。もしかしたら、ピジョンオルフェノクにもあの立場で戦わねばならぬ経緯があったかもしれぬのに。我々は見える範囲で悲しむ対象の選別をする。

 

 

 そしてドラゴンとローズが初めて他陣営と対戦。どちらもスパイダーオルフェノクを圧倒しただけあって期待(不安?)通りにダブル主人公を圧倒。それでいて木場ファイズとウルフオルフェノクという変則的な形態なのだから今後リベンジを期待もさせてくれる。

 戦闘スタイルとしてはドラゴンが腕力とフォームチェンジを使って相手をひたすら攻めたてるパワーファイト。一方のローズは、ウルフオルフェノクの打撃を全て捌きカウンターを叩き込む技巧派スタイルだ。力のドラゴンと技のローズといったところだ。

 

 

 

 また三原デルタで苦戦した相手を追っ払う巧デルタも苦悩するシーンが多かったこの数話の中で主人公の頼もしさを見せてくれておりますほどよいサービスシーンだ。今までも語ったが、主役ライダーの出演というかなり強度が高いと思われるハードルをこの作品は「ファイズは出てますよファイズは。巧以外が変身してるだけで」とうまくクリアしつつ、主人公が悩む展開をしっかり積み重ねて描くことができる。その上でこのような形で主人公の頼もしさをほどよく補充してくれる、溜めと爽快感のバランスが上手い

 

 そんな巧デルタと戦うバーナクルオルフェノクフジツボをアメフトプロテクターに象るユニークさが特徴的だ。ボールで三原デルタを圧倒するゲストながらなかなかの強さは流石にスマブレの手の者だけはある。そのほどよい強さと殺陣により、木場ファイズは巧より直線的でキビキビとした打撃が特徴的なのがわかりやすく見て取れる。

 

仮面ライダー555感想:35,36話

 

巧のオルフェノクバレを通して様々な人物が掘り下げられた

 

 騒動の中心人物の巧。どうやらオルフェノクとしては特別な存在ではないらしい。

 白倉Pの著書で記されていた英雄の構成要素に「特異な出自」と「外部からの漂着者」というものがある。そこへいくと巧はオルフェノクとしては特別とまでは言えないものの、外部からの来訪者ではある(前者を満たしているのはむしろ流星塾生)。そういう意味では英雄でもありそうでもない、境界の存在と言えるだろう。こちらとむこう、敵と味方を分ける境界線上を彷徨う者なのだ。

 菊池家の空気を感じ取り自分から出ていく。弁明せず、自分がすべて背負う彼の不器用さだがそれを責めるものはもう誰もいない。草加でさえ黙って状況を見ているだけなのだから、巧の人となりはもう皆に伝わりきっている。

 

 

 そんな巧を必死に引き止める啓太郎。よくよく考えると彼はこの話数に至ってもまだオルフェノクの発生過程を知らない。生まれながらの怪物だと思っている可能性すらあるのだ。にも関わらず草加の巧は自分達を欺いていたという言葉に、「騙していたというのは違うと思う」という真実を突いた言葉を発することができた。近くにいて巧の人となりを見続けた結果だ。ここで啓太郎の愚直さが癒やしとなる。これには草加も「じゃあ今までどおりの生活ができるのか」と微妙に論点をずらした反論しかできない。

 真理と同様に生理的な恐怖感はありつつも巧のために必死に接しようとする。逃げ場がない二人切りのボートに乗るというのは、相当な覚悟の現れだろう。だから目に見えて震えが止まらなくても巧は彼への感謝がまず現れるのだ。

 

 巧を引き留めようとするもう一人、真理。彼女の中に存在するオルフェノクへの生理的な忌避感。これは理屈ではない。

 その直前に自分の命を助けてくれたのは巧だわかるという確かな直感力と彼への信頼を持っていることも見せている。この両翼の描写により、真理は表面的な差別心や失望でなく、本能的な忌避感というどうしようもないものに苛まれているのがわかる。だから誰が悪いのでもなくそれぞれが己の中の恐怖と戦っているのが見て取れるのであり、より哀しい事態に映るのだ。

 巧に怯えつつも巧以外がファイズになることにどこか釈然としないのもそうだ。

 

 

 巧と何度も剣を交えてきた木場は今回は巧の葛藤を吐露する良き友としての立ち回りが見受けられる。マンションのほか二人にも巧がオルフェノクであることを即座に情報共有したりなど、こういう冷静なときは的確な対処が頼りになる。

 視聴者視点では木場が己の過去と向き合えなかった場面も見えているが、巧たちにはかなり温厚に接し、相手が人間だと思ってる時期には身を呈して守ったり、またバイトで気兼ねがなく説教したりと良心的に交遊しているのでなんだかんだ、己を律する心と信頼を得るに足る部分はあるのだ。

 また、自分はオルフェノクではなくファイズとして戦ってきたと自認している巧からすれば、己はオルフェノクであると受け入れた上でスマブレとの戦いに命をかける木場は尊敬できる存在なのだろう。ファイズギアを託されるのもわかる。ここでファイズギアは、巧が立ち直るまで預かる…と、彼の意思を尊重しながらも彼の復活を待つことも同時に伝えるのが心地よい対応だ。

 

 そして対照的に迷いが見える草加は木場にも当たり散らす。木場と巧になぜオルフェノク同士で戦えるのか理解できない旨を話す。やはり人が人を殺す重さと同様に同族の命を奪う重さを理解しているからだ。だからこそ巧たちが同族と戦えるのは何か別の利益や目的がなければ不可能であるとおもい、「オルフェノクでありながらなんのつもりで同族と戦っている」と勘ぐるのだ。

 その一方で巧に出て行けとは言わないところに彼の葛藤が見える。もちろん彼の家ではなく啓太郎のものだろうという前提はあるのだが。巧に「これからどうするつもりだ」など問いかける。巧は憎むべきオルフェノクなので戦わなければならないと表面的には考えつつも、彼の本心を聞いてから覚悟を決めたい気持ちがあるのだろうか。

 ただ、巧は自分達を騙していたと自分に有利な言説を流そうとしているあたりはさすが。

 また流星塾のことを聞かれると真理にも声を荒げるあたり、やはり彼にとっては真理よりも過去の恨みを濯ぐ方が重要なのだろう。目についたのが啓太郎でさえ食が進まないときにも黙々と食べ続ける点だ。やはり彼にとって食事は楽しみというより戦の備えなのだろう。

 

 どうやらデルタの変身者に落ち着く三原。初変身で物語上の牽引力を使い切らない彼の迷いの描写が目を引く。2度の変身でも覚悟を決めきれない用心深さを見るに、思えば流星塾から距離を取るのは危機管理意識が高いとも言える。これまでは都度状況に迫られて奮起しているが、本当の意味で自己の動機づけになることは起きていない。

 

 巧がオルフェノクと知って自軍に取り入れようとする村上社長。約束と言ったことは守るが、巧みに言葉を操るのが見て取れる。彼の言う巧への切り札となる映像の下り、よく見ると「流星塾の面白い映像を入手した」「よつこそ」としか言っていない。この映像が編集や加工をしていたとしても、巧が犯人だとは一言も言っていないので嘘はついていないと主張できる狡さがある。

 ただ巧への処置に関しては外れたり澤田への見込みが外れたり、個人への処遇にはいまいち手腕が冴えない。実はなんでも自分で成し遂げてきたので他人を見る目や人事は得意ではないのだろうか?(ラキクロは単に倒した数字や目に見える活動で選抜できたとか)

 

 

今回顕著だが、この時期の平成ライダーは喧嘩する場面ではすすり泣きや嗚咽の音も入れているのがリアル感を高めている

 

 

ファイズ&オルフェノク

 ウルフオルフェノク。飛び道具も武器も使わず肉弾戦で圧倒。主人公が変身する姿なら派手な武器を持たせてもいいものの一貫して素手。その強さは己の拳を痛めて戦う巧の精神そのものといえる。オルフェノクとしては普通の存在だがファイズで蓄積した戦闘経験も相まって戦いなれしているのだろう。

 着ぐるみをよく見ると、演者の輪郭より小さいマスクを顔の前面部にかぶることで小顔効果を生み出していることがわかる。狼のシャープな印象を上手く醸し出している。

 

 ムカデとエビは、単純な格闘能力ではライダーに半歩ほど遅れを見せ始めているが、それでも盤外戦術でいくらでも埋められる差なのが未だ厄介である。

 

 

 

 木場ファイズ。車に助手席に組み上げ済みのベルトをおいてたり、マーカーを撃ってからキックの動作に入ったり几帳面なところが木場らしい。ファイズのベルトを使ってオクトパスを的確に倒しているあたり、性能を問題なく引き出せている。こういったところでも巧のライバルとして際立っている。

仮面ライダー555感想:33,34話

ついに巧がなぜ変身できるのかが明かされる回

 木場と怒りをぶつけあう巧だが、よくよく見ると「オルフェノクを信じた俺が馬鹿だった。」「オルフェノクであるお前には関係ないだろ」と激怒しながらも、「オルフェノクのせいで真理が死んだ」とは直接は木場には言わないあたり最後の最後で木場を思いやった物言いをしている。勿論実質言っているようなものだが、明言して一線を越えずにこらえる辺りは彼のやさしさか。ただそれが木場の誤解を解かない原因でもあるので難しいものだ

 彼がなぜ、変身できるのか。それはウルフオルフェノクであるからだ。ふたを開けてみれば最もシンプルな答えではある。なぜ彼がオルフェノクを見ても動じなかったのか、倒すオルフェノクにも心があることを知り苦悩していたのかなどいくつも思い当たる点はある。だが同時に攪乱要素もある。人間と思われる草加や流星塾生がカイザやデルタに変身していたことだ。序盤ではおそらく巧はオルフェノクではないかと思わせておいて彼らの登場がやはり別の要因があるのではないかと思わせる。別の観点から語ると、今でこそ類似例が増えたものの、555当時は比喩としてのライダーと怪人は同族という物があっても、ビジュアルとして「週1で殺される怪人とデザインも着ぐるみの作りもほぼ同じ」という例はあまりなかった。そういう点も相まってウルフオルフェノクの衝撃が増すのだ。

 劇中人物がうける衝撃も大きい。オルフェノクバレに当たって各勢力から最低一人ずつは立ち会う。これで誤解も曲解もできない。誤解とはある面で見たいものを見る・信じるという面をもつが、そういう意味で知りたくなくても巧がオルフェノクであることを刻みつけているのだ。555の人生に迷う者たちは皆見たいものだけを見、信じたいものだけを信じるが、寄りにもよって巧がオルフェノクであるという事態を混迷させることだけは知らぬ振りできないのだ。

 以前草加が言った「オルフェノクはすべて敵と思わなければ戦えないはず」。それは殺す相手の顔を見てしまえば心が耐えられない、それは草加であっても逃れられないため割り切るしかないという理屈だ。ではなぜ巧が戦えているのかという話になるわけだが、そんな理由や秘密などはなく、むしろ彼がオルフェノクであることでより重い重圧に耐えていたことが明らかになっただけだ。彼がオルフェノクを殺すことは人が人を殺すことと何ら変わらない。”向こう側”のあいつらは怪物だからと目をそらすこともできない。巧がいった戦う罪とはそういったすべての重圧を背負い、ただひたすらにやせ我慢の道を行脚することだったのだ。彼がオルフェノクであることで、一層彼のヒーロー性が高まったといえる。

 

 木場は対照的に怒りによって、巧が殺したと信じてしまう。いつもの彼なら信じないだろうが、巧のオルフェノクへの敵意を見て自分への害意と混同して認識してしまい、悪い方向の想像を作り上げてしまうパターンなのだろう。そんな彼が自分に敵意を向けていると認識する人間が実はオルフェノクであった。その事実にどう向き合うのだろうか。

 

 

 草加も真理の危機を通して彼の掘り下げも行われた。真理の状態を悲しみながらもオルフェノク討伐を優先するところを見ると、やはり彼の中には優先順位があるのは確かだ。しかし場当たり的に「ベルトを渡せば真理を助けてもらえるかも」「やはりベルトを渡すわけにはいかない」と思い浮かんだ行動に出ては訂正してるあたり、直情的な性分が隠せずにいるように見受けられる。彼の行動はある意味では私情を滅して人を襲う怪人との戦闘を優先する模範的な“人間のヒーロー”である。もちろん彼の真意はまだわからない。だが、その行動がどう作用するかはまた別ということが如実に表れている。アギトで葦原が木野に言った「お前の真意はどうであれ、お前の言葉によって俺は希望を持った。だからお前の意思は俺が継ぐ」というやり取りが別の形で表れている。真意が別にあるのが事実なら、表面的な言葉の作用もまた事実というわけだ。

 そんなこんなで結果的に周囲を鼓舞する草加。その頑なさがあるときは強さとして作用するのが前述のとおり面白い。

 澤田との因縁もどんどん強固になっていくが同時に彼を助けもする草加。前回のオルフェノクの心を見ては戦えないはずだ発言と合わせると、実は本当に澤田が殺されるのを見たくない心情もあったのではと思う。

 そうやって奮闘している草加だが、真理の死に目に立ち会えない。草加一郎の人違いのときといい、こういうところで真理とすれ違うのが彼女とは縁がないことを象徴している。

 

 草加に叱咤され、デルタに変身した三原。しかしまあ、自分が育った施設がオルフェノクだのベルトだのに関与していると知れば縁を切りたくなるのも無理はないとおもう。

 そんな三原たちを未だ付け狙う澤田。念願かなって真理を殺したというのにまだ残りの流星塾生と対等の勝負にこだわる…人の心を全く捨てきれていないことがわかる。

 

 

 真理の体に現代医学とは違う治療の痕跡。しかもそれがスマブレで処置された。やはり同窓会はスマートブレインの陰謀の一環ということだろう

 

 今回はベルトが特に流動していた回だ。

遊びでベルトを渡す北崎

自分のためにベルトを渡す澤田

自分を戒めてベルトを手放す巧

適材適所を願ってベルトを渡す啓太郎

555はベルトをめぐる物語だということがよくわかる。

 

 

 

 

 

ファイズ&オルフェノク

 溜めに溜めたデルタの初キックは草加。北崎の凶悪な強さを表現しながらも、ギミックのお披露目は怪人をかっこよく倒すことに使われるあたり、本作のひねくれている部分と素直な部分のバランスといえるだろう。デルタの拘束マーカーはデルタムーバーから射出され、必殺技の時にはそれをしまうなり持ったままキックするなりを迫られる。このあたり、デルタの「強力な出力を持つがギミックが練りこまれていない感」がよく出ている。

 主役ライダーを登場させるというのはかなり強い縛りと見受けられるが今までは他人が変身したファイズを出すことで巧が変身できない展開をじっくり書いていた。しかし、今回は他人が変身したファイズも出てこない。ウルフオルフェノクを印象付けるためにかなり頑張って通した構成なのではないだろうか。

 

 そしてこの2回にわたって、レギュラーも含むとはいえ4体も新規怪人が登場したのが豪華だ。

 ウルフオルフェノクは前述のとおり、主人公が変身するが他のオルフェノクと違う特異性を持たせられたりはせず多くのオルフェノクの中の一人でしかないことが徹底されている外見だ。巧は言ってしまえば特殊なバックボーンを持たない。むしろそれらを持っているのは同窓会の日に秘密を抱える草加たちだ。白倉Pが著書に記したヒーローの構成要素の一つに「外界からの漂流者・来訪者」「変わった出自」といったものがある。そこへ行くと巧は過去が語られず流星塾生ではないという点では外部からの来訪者だが、オルフェノクとしては大勢の一人でしかないので変わった出自とまでは言えない。まさに英雄と一般人の境界に居るといえる。

 そのデザインフォーマットこそは他のオルフェノクと揃えられているが、巧が変身する存在としての練りこみはしっかりとされている。前から見るとヘルメットのような頭部や刃が生えた手足など鋭利な印象を与えるが、後ろからは柔らかそうな体毛が見える。それは巧の「ぱっと見はぶっきらぼうだが、付き合ってみると心根は優しく繊細ところが見えてくる」という点を表してるといえないだろうか。

 

 もう一人のレギュラー怪人ローズオルフェノク。ドラゴンと同じく同族を粛正するためにお披露目するというのが、村上のオルフェノク繁栄を願いながらも強行的・独裁的な性格を表している。そのデザインは鎧や装飾が少なくクリアーパーツを使用した頭部や白い体色が美しい。多くのオルフェノクが鎧や棘を着こみ、それが戦うイメージの繁栄であるならばそれは村上にとっては戦う際に身を守る必要がない自信の表れなのだろう、事実、あのスパイダーを圧倒したのはドラゴンに比肩する。

 

 ゲストのカブト&クワガタは村上直属の手駒として登場。デザインは甲虫を武者の甲冑に昇華したストレートに強そうなデザイン。フィクションではカブトムシの英訳はビートルだけで済まされることが多いものの、本作ではライノセラスビートルオルフェノクと狭義の英訳を使用しているのが面白い。単体ではライダーやスパイダーに対しては分が悪いものの巧みな連携攻撃を生かせば彼らを追い詰める実力は絶妙なバランスだ。ラッキークローバーはやはりタカ派オルフェノクにとって優雅な生活ができるモデルケースとしての側面もあり、使いづらい場面も出てくるだろうので、村上としても自由に使えて強い兵力をスマブレの命令系統の中に置いておきたいのだろう。事実ラキクロは好き勝手遊んだり、あくまで外部協力者であることを盾に依頼をごねたりしたこともあったし…。

仮面ライダー555感想:31,32話

 

 色んな形で信じるという行為が描かれる回だと思った。

 木場と巧は互いに信じたい気持ちがしっかりとあるものの、悪い結果が出てしまうことを恐れて相手を信じ切ることができなかった。それがずるずると悪い状況を作ってしまう。

 この二人は「コミュニーケションを取ればいいのに取らない」のではない。この二人は取りたくても様々な懸念であと一歩、半歩踏み出せないのだ。そもそもこの二人は話し合うとしておそらく争点すらも整理できない可能性がある。重要なのは変身して戦っていることなのか、自分に襲いかかってきたことなのか、はたまた誰かの命を奪っていることなのか。きっと互いの重要と思っている点も違うかもしれない。また、シンプルに相手が自分の命を脅かすかもしれないという懸念は重くのしかかるだろう。

 その結果、海堂に伝言を頼むという平時ならやらないであろう迂闊な行動に出てしまった。

 

 彼らとは対照的に一貫して澤田を信じ続けるのが真理だ。もちろん彼女にとっては昔からの友人という信頼に値する理由があるのだが、それを加味しても強固な精神と言えるだろう。こういうところで彼女が一人でベルトを管理できると信頼されるに足る人物だという説得力がある。

彼女が直向きに澤田を信じる光景は巧に木場を信じる勇気を与えた。

 

 しかし行動が対照的な彼らの辿る結果は近いものだった。

相手を信じず泥沼になった巧と木場。

相手を信じて命の危険に陥った真理。

これらを見ていると信じる信じないか作中の正解に直結するのではないということだ。

 大抵の場合、物語では相手を信じるという行為は世界に庇護される正解となる。だが、本作ではどちらが正解ということはない。選択がそのまま世界に守られるのではないと言い渡されているようだ。まるで「見返りのある答えの方を選びたいのか?」と…。

 

 また、これらと別の形で対照的なのが長田だ。彼女は木場に尋ねられたとき「ゆ知らないが乾巧は悪い人間ではないと思う」という返答だ。相手を信じる信じないではなく、己の直感を信じる。それはきっと彼女が一人で耐え続けるうちに身に着けた彼女の強さなのだろう。

 

 

 

 

 

 今回は草加の1面が垣間見えた。

オルフェノクは全て敵。そう思わなければ戦えないはずだ」の“そう思わなければ”の部分だ。木場を陥れるときに発した「スマートブレインこそ敵」という言葉と合わせると、草加も表層的には「異なる種族や立場とも仲良くしましょう」と言った一般道徳は知っている、オルフェノクの中にも人を襲わない者がいることを認識してはいるのだろう。それでも戦わねばならない・戦う運命に巻き込まれている場合、命を奪う相手をは全て敵でしかない、そう割り切らねば精神が保たないではないかと言っているのだ。ある面では一理ある。では巧はどういう気持ちで相手の命を奪っているのか。かつて語られた罪として背負うという気持ちか。それだけでなくまだ理由があるのか…。

 

 

 

555&オルフェノク

今回ようやく姿を表した北崎の戦闘形態ドラゴンオルフェノク。ライダーではなくオルフェノクを粛清するために出てくるというのが恐ろしい。そのデザインは、全体的にはマッシブだが顔は無表情な能面のようやギャップが不気味だ。ドラゴンというストレートなモチーフであり、シルエットはまさに竜の力強さを体現している。だが、一転顔を見るとわかりやすく相手を威嚇するでもなく脅すような覇気もない、ただ不気味さで満たされいるという底知れなさが魅力だ。センチピードを一撃で変身解除に持ち込むパワーが垣間見えるのも良い。

 そしてゲストのソードフィッシュオルフェノク。こちらもカジキを見事に剣士に昇華したデザインだ。狭いところでは剣が使えずスパイダーのトリッキーな肉弾戦に苦戦したが広いところでは舞うような動きで逆に優勢だったのもほどよい実力を伺わせる。ファイズにアクセルを使わせたのも見事。アクセルフォームは使うごとに違う特撮表現を使うことが課題として課されていたらしく毎度違うのだが、今回はファイズ視点で周囲が遅く見えるというものでのちのクロックアップを伺わせる。

仮面ライダー555感想:29,30話

 

 巧と木場がお互いの戦士としての顔を知るが双方の怒りの感情により状況は一筋縄には行かない。その怒りというのも単にお互いに相手だけに向けるものではないから複雑だ。

 草加が二人を仲違いさせようとした際に接触したのが巧ではなく木場であったことからも、彼のほうが疑心暗鬼や不安というものに心囚われやすいのは確かだ。巧が草加が心の奥底に何か抱えているのを察知した洞察力があるのでそれを懸念したというのもあるだろう。

 だが、それとは別に木場なりの考えや経緯もある。彼にとってファイズとは海道が変身し非戦派のオルフェノクに戦いを処刑する役目を請け負っていたり、琢磨ファイズが戦いとは無関係(だと思っている)の友人(巧)を手に掛けようとするなどかなり残酷非道な者だ。しかも海道がスマブレから聞いた「ファイズは落ちこぼれのオルフェノクを処刑する」という情報を耳に入れてしまっている上に、巧の戦う行動と表面的には合致してしまっている。しかもオルフェノクは、製造目的を持って作られる改造人間とは違い、どんな人間から発生するかもわからない自然現象だ。ファイズと戦ってるのがどんなオルフェノクなのかなど、ただ交戦現場だけを見てもわからないだろう。結果的にファイズへのネガティブな疑惑だけが膨らんでいく。また、間が悪いのが沙耶の死に怒る巧の「オルフェノク許すまじ」という声を聞いてしまったことだ。巧を訝しむ材料がまた一つ加わってしまう。巧も行動原理はなんであれ、また何か強い思惑があってオルフェノクを狩っているのではないかと思ってしまうわけだ。

 木場はそれまで幸福に生きてきた分、オルフェノクになってしまったことと同時期に起きた裏切られることが印象強く結びついている。だから、オルフェノクという存在全体へ漠然と向けられるネガティブな感情にも、自分個人に向けられるような印象を抱いてしまうような面もあるのではないかなとも思う。

 

 

 

 その一方で、沙耶が喜ばないとわかっていてなおオルフェノクをすべて倒すと憤る巧。無愛想な彼に友好的に接しベルトを託そうとまでしてくれた彼女を失うのはやはり辛かったのだろう。それを押し殺して啓太郎を気遣うのは彼の優しさだが、同時に言い方にまでは気を回せないのも彼らしさだ。

 彼からしてもホースオルフェノクはことある毎に自分に襲いかかる仇敵なわけだが、その正体の木場をジェットスライガーから庇う優しさを見せている。それは彼の優しさが最もな理由だろうが、もしかしたら彼にはオルフェノクという存在に対して(ファイズに対する木場の怒りよりは)余裕を持って見られる理由があるのだろうか…?

 

 怒りといえば、今回は草加もだ。流星塾同窓会で何が起きたか思い出した澤田に言われた失敗作という言葉。それに対して怒りの形相を見せる彼。

 流星塾で行われていた九死に一生を得た子供達を集める行為と合わせればオルフェノクの王を探す計画だったのだろうか?

 

 そういった怒りの感情と対照的に、村上の命令がなくて暇だからと木場勇治を倒すゲームを始めるラッキークローバーの遊興ぶりだ。555中盤はラキクロが動いている印象が強いが、こうして見ると彼らがこの時期に動いている理由付けが見えてくる上に彼らの悪辣ぶりを再認識できる。彼らは村上からの指示はないがそれでもオルフェノク全体のためになにか動こうといった意識はさらさらない。ただ自分たちの力に興じるだけだ。

 彼らの振る舞いはオルフェノク全体のことを考えて動いているとは言えず、やはり種全体を守り立てようとリーダーとしての意識がある村上と独立部隊のラキクロで意識の乖離が見えてきている。以前、琢磨影山は村上は権力を持って変わってしまったと言っていたが、彼が変わったのだとしたら権力ではなく立場による意識によるものなのだろう。

 

 

 

 

ファイズ&オルフェノク

 今回本格参戦となった仮面ライダーデルタ。その見た目とシステムにはファイズ&カイザと比べて差異が多い。それはデルタギアが新しいからではなく、古いからのようだ。たしかに胸部装甲のないところは後続のファイズたちで胸部を守る必要性をフィードバックした結果だろうし、武器も少ない。変身するだけなら誰でもできるところはセキュリティに気を使うところまで至っていなかったことを思わせる。メタ的な事情を言うと、後発のライダーは商品点数をあまり出せないためにこういった形になったと思われるが、それを作中設定におけるシステムの新しさではなく古さとするところにこの作品のエッジを感じる。平成一期の中では商魂逞しい部類の印象が強い555だが武器や強化アイテムを展開するのは実質ファイズとカイザの二人だけであり、増やすだけでなくその辺のブレーキやバランス感覚も持ち合わせているのだ。

 ギミック周りでは旧式であることを見せるデルタだがだからといって劣るわけではないことをデザインで見せている。ほぼ白と黒だけで構成されたあまりにもモノトーンなデザインは掴みどころのない不気味な威圧感を感じる。また、フォトンストリームがファイズカイザ以上に細かくたくさん血管のように走っているところは単純に強力そうに見える。こういったデザインとギミックの組み合わせにより「武器や拡張性は旧いが、基本性能が高い」というベルトの特色に説得力を持たせている。

 北崎という変身者もデルタギアの基本性能を生かした格闘能力の高さを見せつけている。今回は草加ファイズ対ホースオルフェノクの一進一退の攻防や、怒りのカイザが気迫でスパイダーオルフェノクを撤退させるなど、レギュラー陣はその時々のコンディションで勝ち負けが変動する程度には埋めようがある実力差であることが描かれている。そこへ来ると北崎デルタは圧倒的だ。スパイダー相手にもファイズ&カイザは苦戦していたが状況の混迷具合もあったしそこから立て直せる様子も見受けられた。しかし北崎デルタにはファイズとカイザが連携してやっと一矢報いれる程度である。これでまだ怪人態を見せていないのだから、ドキドキするものだ。

 

 もう一つの目玉として出てきたジェットスライガー。しかも同機種対決なのだから、ジェットスライガーの存在を知っていても2台目には驚いたものだ。当時スタッフが言っていたのだが、「ジェットスライガーは大物同士でしか戦わせられない。そうしないと面白くないから」との言葉があった。当時のCGでは普通のオルフェノクやライダーと何度も戦わせてもシューティングゲームにしかならないのだろう。10回の出番より1回のインパクトというのも頷ける。

 登場の仕方が北崎が発した音声入力を聞き取った巧が自分のデバイスでも試してみるというものなのが面白い。オートバジンに乗ってパワー差を埋めたりキックを弾かれた経験から空中でグランインパクトに切り替えるなど、巧はあらゆる分野で最強…というではないが、実戦で機転が利くので事態をなんとかしてくれそう感が強い。そういう意味で、相手の強さも立てつつ打ち勝ってくれる絶妙な強さの主人公と言えるのではないか。

仮面ライダー555感想:27、28話

 

 デルタのベルトを巡って色んなキャラの立ち位置や考えが掘り下げられる回なのだが、まず目についたのが流星塾生の仲間割れに同じような見解を示す巧と草加だ。もちろん同窓生のあれ程の醜態を見せてはもう言い繕うことはできないのもあるが。かつて流星塾で草加が描いていた絵は彼と真理の二人だけが描かれていたものだった。一方で、死にゆく同窓生たちへの思いもまた本物だ。総合すると、彼の中で真理への執着を上回るほどではないが、他の流星塾生よりは巧の実力を信頼しているところまで来たと言ったところか。本人は絶対に認めないだろうけど。

 また他にもデルタギアの仲間割れで憔悴する真理に気づいて寄り添うのは草加ではなく巧だったり、どんなときも食べるペースを崩さず戦いに備えるかのような草加の食事の様子が興味深い。もしかしたら草加には真理よりもオルフェノクと戦うことのほうが大事なのだろうか?

 

 

 一方で、デルタギアは各所を転々としているようだが澤田たちから奪って確保した沙耶が巧に接近した。

 レギュラーたちが巧の扱い方を心得て来たところに改めて彼のつっけんどんさに当然の反応を示す沙耶。我々視聴者もレギュラーキャラも巧の扱い方・見方を心得ており、ある種予定調和になっている。そこへ改めて外部からのキャラを接触させることで、巧の表面的な態度の悪さと、そこで一歩踏み出せば見えてくる巧の繊細さを再提示している。真理への気遣いといい巧の優しさが光る。

 

流し素麺が啓太郎、巧、沙耶の一方的な関心の方向を示している演出も面白い。

 

 

 

 今更木場を倒すという過去の仕事でプライドを取り戻そうとする琢磨。(別に村上は頼んでなさそう)。デルタに恐怖する前フリとしては十分だ。しかし、そういった身の振りを見ていると彼は自分が思っているほど人間の心を捨てられていなさそうだ。自分の戦いの成果がどうなっていようとプライドさえ保てればどこ吹く風の影山とは対照的だ。

 

 

 

 

 

 流星塾生でありオルフェノクでもある澤田。やはり流星塾とはオルフェノクを生み出す組織なのだろうか?

 澤田がオルフェノクとして活動する前に行う折り紙の儀式。折り紙は当然ながら自分で作るものだ。それを燃やすということは自分が積み上げてきたものを壊す。つまり過去の自分を捨てようとしていることの現れなのだろう。

 そして、今それをしているということはまだ人間の心を捨てられていない。彼は迷える人間として描写されている。ノッてるときはファイズとカイザ二人がかり相手にも渡り合うが、北崎には簡単にあしらわれれ、真理との再会の場にはプライドをずたずたにされてからやってくる。とても強豪怪人のお披露目には見えないが、当然これは意図的なのだろう。

 

 そんな過去の自分(折り紙)に触れることができる澤田に対し、誰にも触れられない北崎。それはコミュニケーションの不在を表す。

 

 

 

 言ってみればこの回は最初から悪のライダーとして設定されたデルタが出てくるのではなく、人間側の足並みの不揃い故に北崎にベルトを奪われてしまう展開。それでもそこの見えない北崎がベルトを手にすることでストレス以上にスリルが最高潮になるうまい展開。

 くわえてここで一つ想像できるのが沙耶がオルフェノクの可能性だ。彼女は使徒再生ではない武器の刺殺で死んだにも関わらず灰化した。もちろん、あれがスパイダーオルフェノク使徒再生である可能性もある。しかし前回のフロッグオルフェノク素手による格闘で殺害された流星塾生は遺体が残っていたところ見ると、もしかしたら沙耶もまたオルフェノクに目覚めていた可能性もある。だとするならば沙耶はデルタの力にもオルフェノクの力にも溺れなかったことになり、真理の言う彼女の強さは確かなものなのであろう。

 

555&オルフェノク

 今回登場したスパイダーオルフェノク。蜘蛛という一般的なイメージに反してゴリゴリの肉弾戦タイプ。実は蜘蛛には巣を張るタイプと同じくらい徘徊性や待ち伏せなどによる狩猟タイプの種も多い。もしかしたら彼はそんな狩猟型のイメージなのかもしれない。単純に剛腕なだけでなくトリッキーな動きも多い。デザイン面では蜘蛛の単眼をピックアップしたり、脚の意匠を頬に並べて紋様のように使っているところが面白いと思う。

 センチピードやロブスターが見せた光弾やワインと言った特殊な技は使わず、ひたすら肉弾戦で戦うところは澤田がまだ人間の心を捨てきれていないことを表しているようにも見える。

 都会的なイメージのファイズやカイザが今回は砂埃にまみれている(それでいてスパイダーにいっぱい食わせることは十分できるくらいには実力差は埋められる。もっと苦戦していたクロコダイルや初期センチピードのときは綺麗なままだったのに)のも文字通り彼らの心が泥臭く実直にぶつかり合っていることの現れなのかもしれない。